得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

ミルクココアが飲みたくて。

 

「うぅ~」

 

トイレで、ぼくは死にそうな声をもらした。

 

 

会社に行くまでに、乗り換えが何度かあって、

そのたびに改札を出たり、階段を降りたり、人と肩がぶつかったりしている。

 

朝起きて、もうれつに喉が渇いている時は、お茶をがぶ飲みするが、

そうじゃないときは歯を磨いておわり。

 

なにも飲まずに家を出るから、

途中で何かを飲みたくなって自動販売機を利用する。

 

 

健康診断をうけ、先生に注意を受けてから、

特保のお茶を買うように意識しているが、

どうしても冷たいミルクココアが飲みたい朝だった。

 

コカコーラの自販機には、ない。

アサヒの自販機にも、ない。

 

 

「あぁ、いっそのことミロでもいい!」

って思ったけどミロはもっと見つからない。

 

コンビニじゃだめなんだ。

キンキンに冷えたミルクココアを飲み干したいんだ。

 

 

喉の渇きとは違う。

たぶんぼくは今、ココアゾンビだ。

出勤前のココアゾンビ。

 

 

 

いつもの駅の端の端。

なんのメーカーの自販機か分からないところに、

ミルクココアをみつけた。

 

 

なんとも、絶妙な茶色のパッケージの缶。

飲みたかったものが、そこにはあった。

 

 

ぼくが本当のゾンビなら、

自販機を押し倒して中身をとりだし、

おなかがたぷたぷになるまで飲み干すのだが。

 

あいにく、ココアゾンビである前に、

いっぱしのサラリーマンなのだから仕方ない。

 

財布から500円玉を取り出して、

130円の1本をいただくことにする。

 

 

投入

 

 

・・・あれ・・・ボタンが光らない。

 

 

購入の権利を行使するためにある、自販機のボタンが光らない。

その代わり、10円と書かれたランプが光っている。

 

悲劇だ。10円のお釣りが切れている。

10円のお釣りが無いということは、

ぼくの500円ではミルクココアが買えないのだ。

 

 

「金ならある、ココアをくれ!」

 

祈るような思いで、再度お金を投入するも同じこと。

ぼくの財布には、1000円札と500円玉と、あと1円が数枚しかない。

 

 

買えない。

 

ミルクココアが買えない。

 

目の前にあるのに買えない。

 

お金があるのに買えない。

 

 

「いっそ、値上げしてくれ!150円にしてくれ!」

 

あの時のぼくは、ココアの相場を変えてしまうぐらいの思想を持っていた。

それぐらい、目の真にある茶色のパッケージは輝いて見えたのだ。

 

どんなにあがいても、ココアは出てこない。

 

後ろ髪を引かれる思い(最近髪を切った)で、会社へ向かう。

その日は、もう、頭のなかは悔しさでいっぱいだった。

30円を持ち合わせていない自分に悔しさを感じながら、特保のお茶を飲んだ。

 

 

 

帰り道。

ぼくは、朝とおなじ自販機の前にいた。

 

 

光っている。

10円のランプが光っている。

 

なんということだ、12時間労働の間に、

お釣りは一切チャージされていないという。

 

 

業者のお兄ちゃんよ、頼むよ。

ぼくにミルクココアを飲ませてくれよ。

お願いよ。

 

その日は、結局、いっさいミルクもココアも喉を通らなかった。

特保のお茶は、しっかり通った。

 

 

 

お風呂に入りながら考えていた。

 

 

半日経って、10円のお釣りが切れたままということは…、

つまりその間に、誰一人その自販機で飲み物を買っていないということじゃないか。

 

 

とんでもなく、不人気な自販機なんじゃないだろうか。

 

それとも、ぼくのように志半ばで会社へ向かったゾンビがたくさんいたんだろうか。

どっちなんだろう。

 

 

 

そして、今日の朝、

ぼくは財布に1000円札と3枚の十円を入れて、

満を持していつもの自販機に挑んだのです。

 

 

 

 

それでも、

 

それでも、

 

10円のランプは光っていました。

 

 

あんなに飲みたかったキンキンに冷えたミルクココアは、

とうぜん、キンキンに冷えたミルクココアでしたが、

なんだか複雑な気分でぼくは生き返りました。

 

 

そして、お腹をひやして、

トイレに駆け込んだのです。

 

 

「うぅ~」


冷えすぎや。

 


昨日から、今朝までの話です。

 

5人乗りのちいさな社会。

 

 

先日、エレベーターに乗っていたら、

緩衝材のパネルにこんな絵が描いてあった。

 

 

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おっきな、ドラゴンボールベジータだ。

 

 

低レベルな下ネタが、やまもりに落書きされたパネルに、

でかでかと書かれたベジータは、

せまいエレベーターでかなりの迫力を見せつけている。

 

 

そして、まわりにはたくさんの、

うまい! すげえ! といったコメントが書き込まれている。

 

 

きっと、「うんこ」とか書いていた少年たちが、

そのベジータを見て率直な感想を書いたんだと思う。

 

 

この狭いエレベータのなかに、

何人もの少年たちがいて、

実際に目をあわせることなく会話をしている。

 

 

すごく居心地のいい空間だった。

 

 

何日かに一回、

お客様の家へいくときに乗り込むのが楽しみでしかたない。

 

その絵に対する、コメントが増えていたりするからだ。

 

 

インターネットで何かを発信したいぼくの気持ちは、

きっとここにベジータを描きたい気持ちに似ている。

 

 

何かを誰かにみてほしくて、

ちょっとだけ評価もしてほしくて、

できたら「いいね!」と言ってもらいたくて。

 

どうや!って気持ちで書いているけど、

本当は誰も見ないかもしれないことに怯えていたりする。

 

 

「誰にも見てもらえなくたっていい、自分が楽しければそれでいい」

 

そんなことを言いたくなるけど、

たぶん、それを言ったら嘘になる。

 

 

「好きなことをして、誰かにみてもらいたい」

 

 

それを自由に何度だって、

やりたいだけトライできるのがインターネットのいいとこなんじゃなかろうか。

 

エレベーターで、誰かがその絵を見ているように、

このブログも誰かが見てくれている。

 

 

もちろん、そんな中身がないから、

有名な人が書く文章にはとうてい及ばない。

 

 

一日に10人ぐらいが、ぼくの日記をチラ見して行って下さる。

それでも、たまにコメントをもらったりすると、すごく嬉しい。

嬉しくて、小躍りできるぐらいだ。しないけど。

 

 

 

昨日、いつものようにエレベーターに乗り込んだ。

 

パネルは貼りかえられていて、

ベジータはどこかへ消えてしまったみたいだ。

 

そして、

 

 

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そこには、でっかい孫悟空がいた。

スーパーサイヤ人3の孫悟空だ。

 

 

ひとりの少年が開墾した、

エレベーターにドラゴンボールの絵を書くという畑に、

べつの少年が乗りこんできたみたいだ。

 

 

だが、そこに前回あったような勢いはない。

 

うまい! すごい! の言葉は書き込まれず、

完全にスルーされてしまっている。

 

 

 

 

「あ、これはぼくだ」

 

 

 

 

ぼくには、ここに孫悟空を書いた少年の気持ちがすごく分かった。

 

どういう気持ちでここに書いたか、

どんな気持ちで反応を待っていて、

毎日ずーっと過ごしているかが痛いほどに分かる。

 

分かりすぎる。

 

 

きっと、誰かに何かを発信したくて、見てもらいたくて仕方なかったんだ。

 

ベジータに贈られたコメントを、

自分もほしくてほしくて、

なにを書いたらいいか分からなくて、

結局、孫悟空を書いたに違いない。

 

 

毎日、学校から帰ってきて、

友だちの家に遊びにいくときや、

塾帰りにそのエレベーターに乗るのをすごく楽しみにしているはずだ。

 

 

一向に増えないコメントに、

じぶんの書いた孫悟空を見るのが恥ずかしかったりしてないだろうか。

 

 

同情でもなく、うまいと思ったし、何かを発信したい気持ちがよく分かって、

「いいね!」と書き込みたい気分になった。

 

 

でも、そうだ。そうなんだ。

きっと、エレベーターに孫悟空を書きこんでちゃダメなんだ。

 

 

誰かが開墾した畑で、

おなじように反応がほしくて、

何かをやっても仕方ない。

 

その思惑は悲しいかな、5人乗りのちいさな社会でも伝わってしまう。

 

 

誰かが、きっとどこかで見ている。

 

たくさん読んでほしいとか、

たくさん広まってほしいとか、

そこを目的にしちゃいけないはず。

 

何を伝えたくて書いているかだけを考えないといけない気がした。

 

ざんねんだけど、

ベジータの時に感じた勢いが、

孫悟空にはなかった。

 

 

身が引き締まる思いだ。

 

どうすれば、たくさんの人に読んでもらえるかじゃなくて。

どうすれば、たくさんの人に自分の思ったことを伝えられるかを考えなきゃ。

 

 

今日、ここで書いていることも、

「はぁ?何を言ってるんだ」

って思われるかもしれないし、

 

そもそも、ほとんどの人の目にとまることなく、

眠ってしまうかもしれない。

 

それはそれで仕方ない。

 

 

だけどきっと、誰かが見ていると思うのです。

 

 

レビューを書いたり、

ランキングを作ったりすると、

ブログの閲覧数が上がるのかって考えたこともある。

 

でも、そんな簡単なものじゃない。

 

その記事に込められた熱量は、

ぼくがどうしても書きたかった5人乗りの社会についての話とおなじ。

 

本当に大好きなものを紹介したいと思っている熱がこもっている。

 

だからこそ、人の心を動かしているに違いない。

そりゃ、かなわない。

 

 

だから、孫悟空を書くより、

もし、

あなたが俳句が好きならそれを、

なぞなぞが好きならそれを、

書いたほうがずっといいんだろうって思った。

 

 

エスカレーターやら、エレベーターやら、

駅の待合室やら、海辺のベンチやら。

 

 

なんだろうなぁ、

ちいさい社会を見るのが好きなんだろうなぁ。



 

 

 

孫悟空の少年の、

次回作が気になるなぁ。

 

壁をこえてほしいなぁと、

ぼんやりと考えていました。

 

 

 

あ、もし、

ベジータを書いた少年と同一人物やったらどうしようか。

 

うーむむ。

 

 

 

それはそれで、

社会は厳しいってことやなぁ。

 

 

どんなにデビュー作が売れた歌手でも、

2曲目も売れるかって言われたら、

それはそれで難しいもんなぁ。

 

P.S. ぼくも、転職サイトに登録しました。

 

銀行の内定が出るのは、異常なほどに早い。

 

どれくらい早いかって、

ぼくが就職活動をしていたときは4月が面接解禁で、

1日から3日間つづけて面接をして内定をとった知人もいる。

 

ぼくは、内定辞退した人の空枠にすべりこんだので、

採用通知は10月にもらった。

 

周りの同期が、銀行員になることを決めた6か月後に、

ようやく内定をもらったことになる。

 

 

だから、はじめて研修に行ったときには、

みんなはすごく仲良くて、

「誰やこいつ」って感じの目でみられている気がした。

 

友だちは当然いない。

 

そもそも、やりたいことじゃないから、

どうしてこんなに周りがキラキラと研修を受けているのかも分からない。

 

休憩時間は、ひたすらに本を読んでいたことを覚えている。

 

 

お泊り研修とかもあったけど、

もう本当にはやくはやく家に帰りたくてしかたなかった。

 

 

同期は大切にしたほうがいいよ

と上司はぼくに言う。

 

きっと、入社当時のぼくなら、

「は?ともだちがいないんだよ、こっちは」

と叫んでしまうほどの心持ちだった気がする。

 

 

3回目の研修ぐらいで、

とつぜん声をかけられて、

「あっ!人違いやったごめん!」

と言われて立ち去られたこともあったんだから仕方ない。

 

 

だけど、

いまは確かに同期は大切だと思う。

 

正しく言うと、

気をつかわなくていい同期は大切だと思う。

 

なんて書きながら、

同期の子と飲みにいってしっぽり仕事の話をするなんてことをしたことが無い。

 

仕事の話をするのが嫌で嫌で、もうどうしようもないのだ。

 

んなことで、

研修の休み時間は本を読んでるし、

みんながお札を数えている時間に、

コピーライター養成講座のキャッチコピーを書いていた。

 

 

朝のスピーチみたいなのが、何日かに一回まわってきたりした。

 

 

ブログに書いてるような、

どうでもいいようなつぶやきを喋るようにして、

なんとなくそれはそれで楽しんでいた。

 

たしか、

配属が憂鬱すぎて上司に怒られる夢をみたことを、

けっこうな偉い人がいた場所で話した気がする。

 

 

 

なのに、

 

そんなぼくに、

声をかけてくれる人が何人かいた。

 

ありがたい。

ありがたいのに、すぐにひとりになりたくて、本を読む。

でも、心の中ではすごく嬉しかった。

だからと言って、仕事の愚痴を吐くことはしたくもないけど。

 

 

その結果、ぼくは相手の話を聞かせてもらう立場になった。

 

 

支店に配属されてからも、

何回も研修があったから、

何回も休憩があって、

そのたびに本を読んで、

ともだちの愚痴をきいた。

 

 

 

キラキラしていた同期の目が、

どんどん曇っていく姿は、

あまり見たくなかった。

 

ぼくは、もとから曇っていたから、

ぎゃくに追いこされたようで悔しい気持ちもあった。

でも、それ以上に、

入社して頑張ろうと意気込んでいた光みたいなのが、

どんどん消えていくのを見ているのは寂しさがあった。

 

 

きっと、みんなは最初に仕事の話をしすぎたんじゃないだろうか。

 

ひとりで本を読んでいるぼくに、

ボソッと「しんどいなぁ」とこぼす人がいた。

 

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

 

はげますことなんて、

ぼくにはできないから、

ひたすら話を聞いた。

 

どんなに話を聞いても最後は、

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

で終わった。

 

 

気づいたら、夢の話をしたりしてた。

 

どんなことを将来したいって思っているのか。

もちろん、銀行でじゃなくて、

もっと大きな世界での話をした。

 

 

ぼくは、やりたいことが決まっていた。

コピーライターになりたいから講座にも通っていたし、

コンペにも応募しないといけないから銀行のことなんて考えている暇がない。

 

 

でも、今の仕事がすべてでやってきた同期は、

目の前にあるしんどさこそが全て。

 

そこから、どうやって逃げたらいいかが分からなかったみたいだった。

 

 

研修にいくたびに、

何人かの子とそんな話をしていた。

 

その子がいない間は、本を読んでいた。

 

 

 

毎月、社内報がまわってくる。

その最後の頁のすみに、

退職者のリストが出ている。

 

 

知っている名前が出てくる。

 

知っているだけの名前が出てくると、

あぁ辞めたんだぁって思って終わり。

 

だけど、

夢を知っている名前が出てくると、

どうしようもなく寂しい気持ちになる。

 

 

研修の時に、

どうしようもなく陰気なぼくに話しかけてくれた同期の子が、

悩んで悩んで選んだ道を、

ぼくは応援しないといけないはず。

 

 

連絡先さえ交換していないのに、

その人の夢を知っていたりするわけで。

そうなると、もう二度と会うことのない別れでもあって。

 

 

あと、

 

「先を、越しやがって」

と、悔しい気持ちがあったりするわけです。

 

 

 

一生懸命すすめすすめ。

 

 

ムリに連絡先を探したりしなくて、

道で出くわしたりしないかなって思ったりして。

 

 

ただひとつ、

曇ってしまった2つの目玉が、

きもちよく晴れわたるような道。

 

その道を、進んでいることを祈るばかりなのです。

 

 

 

 

あっ、どうしよう。

ぼくが、すごく仕事してない人みたいに聞こえるな。

 

ま、事実だから仕方ない。

 

 

「そりゃ、くそダルいもんやって仕事なんてさ」

 

 

 

 

明日は、金曜日。

がんばるぞ、がんばるぞ!

できないノルマを撫でるのだ。

 

 

 

 

P.S. ぼくも、転職サイトに登録しました。

 

 

達者でね。

おしょうゆ

 

こいくち醤油と、ともだちだ。

 

見てくれすこし怖いけど、

ほんとは、気遣いさん。

 

その場の雰囲気をじんわりとまとめる。

わがまま言ったら、聞いてくれる。

ぼくにあわせて、いてくれる。

 

 

 

うすくち醤油と、ともだちだ。

 

あっさりしてて、心地いい。

一緒にいるのに、何も考えずボーっとしてるの。

 

だけど、ほんとはすっごく熱い。

夜ふかく、ふかくなったら、

彼の味わいが、熱量が染み込んでくる。

 

 

 

だし醤油なんか、しんゆうだ。

 

つつまれてたい、浸されたい。

 

彼がいたら、他になにもいらないの。

どんな奴が来たって、

いつもすることはひとつだけ。かけるだけ。

 

どこにいたって、隠れてたって、

だしが、いるってすぐ分かる。

 

連絡したらさ、

気づけば会ってるしんゆうなんだ。

どこに行っても、

いつもたのしいしんゆうなんだ。

 

 

塩分のとりすぎ注意して、

たまには、孤独にがんばるよ。

 

ご褒美なんていらないさ、

そこにしょうゆがいてくれたら。

 

 

砂糖も呼んでさ、あぁ、佐藤。

温泉行こう、銭湯も。

浸かってたいんだ、ぼくは大根。

 

 

 

エスカレーター横のおじさん

 

おじさんをさがしていた。

この数日、どこかへいったおじさんがいた。

 

毎朝、おなじ電車に乗る。

いつもの場所で日経新聞をひろげるおばさんや、

ちぢこまりながら文芸春秋を読むお父さん。

いつものメンバーがいる。

どこの駅で降りるのか分かっているから、

壁沿いを確保している文芸春秋のお父さんの前にぼくは立つ。

お父さんが降りる瞬間に生まれるスペースにすべりこむ。

 

言うならば、

テトリスの長い棒がピッタリはまるような感覚なんです。

 

待ってましたと言わんばかりに体が動いた瞬間、

あぁ今日もなんとか一日がはじまったなぁと実感する。

 

 

ちなみに、探していたのは、文芸春秋のお父さんではありません。

エスカレーター横のおじさんです。

 

職場の最寄駅について、

くだりのエスカレーターへ向かう。

角を右にまがったとろに、そのおじさんはいる。

 

毎日、そこでおじさんは、

バンを置いて、ジャケットを脱いでエスカレーターに乗る。

 

それだけ。

それだけなんですけど、

毎日絶対、そのおじさんはそこにいる。

 

たぶん、おなじ電車で、

ぼくよりもエスカレーターに近い車両に乗っているから、

いつもそこにいるんだと思う。

 

あさねぼうした日は、おじさんはいない。

ぼくが一本遅い電車に乗ったから。

すこしだけ期待して、角を曲がるけど当然いない。

 

サラリーマンのプロは、あさねぼうなんてしないんだろう。

 

で、次の日、ちゃんといつもの電車に乗れると、

おじさんはジャケットを脱いでいる。

 

「あ、日常だ」

と思いながら、エスカレーターを下る。

 

なのに、そのおじさんがいない。

エスカレーター横のおじさんがいなくなった。

 

毎日、文芸春秋のお父さんからゆずってもらった壁際にはりついて、

いつも通りに駅の角を曲がっているのに。

どうしてだろう。日常がちょっとだけ変わってしまった。

 

なにがあったんだろうか。

 

・転勤

・転職

・退職

・引っ越し

 

生活がかわったんだろうなぁ。

おじさんにとっても、すごく大きな変化だっただろう。

 

5月になって、辞令が出ることだってあるだろうし、

もしかしたら退職するぐらいの年齢だったのかもしれん。

すこしふくよかな人だったから、体調を崩したのかなぁ。

 

寝坊せず、まったくおなじルートで通勤しているが、

おじさんを見つけられないもどかしさ。

 

一度も話をしたこともなく、

ジャケットを脱いでいる姿しか見たことがない。

ぼくの人生を大きく変えてくれるようなことは、

ほんとに、みじんもない人なんだろうけど、

どこかぽっかり穴があいた寂しさ。

 

エスカレーター横のおじさんがいないことが、日常になったんだねぇ。

 

 

金曜日

 

 

いつもの電車に乗った。

すこしだけ、いつもより出口に近くの車両へ。

 

あぁ、しんどいなぁとため息。

 

角を曲がって、エスカレーターを降りるために列へならぶ。

 

もう一度、ため息が出そうな間があって、

ボーっと何も考えずに歩いていたら、

 

おじさんを見つけた。

あれは、まぎれもなく、エスカレーター横のおじさんだ。

 

どうしてだ、どうしてそこにいるんだ。

あなたは、いまの時間、あの場所でジャケットを脱いでいるはずなのに。

 

 

 

 

そうか、

 

なんだ、

 

そんなことか、

 

もう、クールビズの季節なんだ。

 

ジャケットを着なくていいから、

脱ぐ必要がないんやね。



 

だれかの日常は、

ほかのだれかが生きる世界でもあるんだな。

 


ホッとしながら、

新しい日常をすすむ、すすむ。

 

 

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あ、

バン屋のおじさんは、

荷物が多いね。

回転日記

 

こんばんわ。

今宵も、回っていますか。

 

最近、思うことがありまして、それは何かっていうとですね。

人は“回転”が好きだなぁってことなんです。

 

なんで、こんなことを思ったのかって、

回転寿司が、ほんと大好きなんです。

 

回っているんです。お寿司が。

くるくると、レーンに乗って。

 

もちろん、友達と行って食べているから楽しいのかもしれないのですけど。

それだけじゃない気がするんです。

次から次へと、お寿司のパレード。

 

はっと、顔を上げると、光りかがやく大名行列

ワクワクしてきてたまらない。

 

ほかには、どんな回転があるだろ。

そうだ。お好み焼きだ。

あの、くるりと回転する瞬間が楽しい。

 

メリーゴーランドとかも、やっぱり乗ってみたら楽しい。

どの馬に乗るか必死に選んで、

あとはひたすらグルグル回る。

それだけなんだけど、ボーっと馬にゆられるのがいい。

 

回転木馬というミュージカルがあるけど、

観る前から何か面白いことが起きそうな予感がしてくる。

回転焼きというおやつがあるけど、

食べる前から何か面白いことが起きるに決まっている。

 

 

縦にくるりと回るというのは、

どことなくトリッキーな動きだ。

横にぐるぐる回るのは、

電車ごっこのような永遠に眺めることのできるパレードだ。

 

 

 

 

『世の中を、回転させる』

 

 

って肩書を、背負うのはどうだろう。

なんとなく、中間管理職のような気がして面白くない。

 

 

『世の中を、縦回転させる』

 

 

ちょっとだけ、何かをしでかしそうな気がしないですか。

しないかなぁ。

 

 

『世の中を、横回転させる』

  

どうしよう、今日の終わりかたが見つからない。

 

 

 

そういえば、ぼくは回転寿司が大好きで。

あの光かがやくパレードを眺めるのが・・・・

 

 

話も、一回転させてみようと思いましたが、

意味もないのでやめておきます。

 

 

 

なにかが起こりそうな予感がするでしょ?

 

なにもないんですけどね。



まわる、まわるよ、時代はまわる。

ゴールデンウィークが、金メッキだとしても。

 

朝起きるのが、本当につらい。

いまも、変わらない悩みです。

就職して3年目のゴールデンウィークを迎えました。

 

朝早くに起きなくていい日は、

はやくに目が覚める。

これがまた、納得いかない。

 

就職して1ヶ月、ぼくは何をしていたんだろうか。

メモをみかえした。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

ビラ配りをしていたら、

チラシ業者様いつもありがとうございます。

チラシを入れるならポストの使用料金10円を投函してください。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

そうだ、いまの支店に配属されてすぐ、

ぼくは毎日ひたすらポスティングをしていたんだ。

その時に見つけた、ある団地のポストに書かれていた言葉をメモしたんだった。

 

銀行員として、ピンポンを押したり、チラシを投函したり、

こんなことを毎日している。

入行してから今も変わらない。

 

いまもずっと、

何をしてるんだろうと思いながら、

虚しくなったりしている。

 

猫が支店の裏口にうんこをしたときに片付けたし、

蜂がブンブン飛び回ってるときに退治したのも1年目のぼくだ。

それで給料をもらって、好きなものを買って、好きな音楽を聴いている。

 

綺麗ごとを言いたくなる。

 

希望がなくなると、前がみえなくなるからだ。

 

だから、本当だったら、

いまのぼくがお客様と接したことのなかで、

お客様の人生に手助けできたことを書いて、

この仕事も案外悪くないというセリフで〆るのがいいのだろう。

 

 

でも、ちゃうんだよ。

そうじゃないんだ。

 

 

 

好きなことでお金を稼いで、

好きな本を読んで、

好きな音楽を聴いていたいんだ。

 

好きなことからはじめたいんだ。

 

 

心底嫌だなぁって思いながら稼いだお金で、

好きなものを買うことにすごく違和感がある。

 

 

もっと、向き合いたい。

好きなものと、向き合いたい。

 

買われる側からしたら、知ったこっちゃないだろう。

あんたがどんな経緯でお金を稼いで消費をしようが関係ないと思ってるだろう。

 

 

でも、なんとなく、

後ろめたさを感じながら、

人と会ってもご飯を食べているし、

酎ハイを飲んでいるし、

温泉に浸かっている。

 

贅沢な悩みなのかもしれない。

 

 

盗んだお金以外で、

後ろめたさを感じず好きなものを買えている人を、

ぼくはすごく尊敬する。

そして、うらやましい。

 

仕事としっかり向き合えている人なんだと思う。

 

ぼくはどこか、ななめを向いて、

興味ないけどって態度を仕事に対してしている。

 

 

一生懸命稼いだお金で飲むビールがうまい

 

本当にあると思う。

 

一生懸命稼いだお金で聴けた音楽が最高だ

 

これも絶対にある。

 

 

 

初任給、みなさんは何を買いましたか。

どんな、好きなものにお金を使ったんだろう。

好きな人に、お金を使った人もいるだろうなぁ

 

どうでしょう。

 

ちょっと後ろめたさを感じた人もいたりしないのかな。

本音を書くと、やっぱりいると思うんです。

 

 

 

周りの同期が、両親にプレゼントを買っているときに、

自分は何となく買いたくないと思っている人がいたりしないのかな。

 

ぼくは、そうだった。

 

両親に感謝をしているのだけど、

こんな気持ちで稼いだお金で何を渡したらいいか分からなかった。

 

だけど、何もないのは失礼だと思って、

すごく適当に選んだお箸のセットを渡した。

 

渡すのも、実家の机にポンっと置いて、それで終わり。

 

 

 

 

いつか、初任給で家族をごはんに連れて行ってあげたい。

堂々と、顔をみて喋りたい。

 

 

ぼくの初任給は、いったい、いつになるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、転職への準備をしているのだが、

いやはや、好きなことで生きていくのは難しい。

自分が大人になるほうがずっと簡単なんだろう。

 

 

もし、どこかに、

ぼくと同じような人がいたら、

いっしょに初任給を探してみたりしませんか。

 

 

ちなみに、

メモをしていたポストには、

10円もチラシも投函することはしませんでした。

 

どうだろう。

 

定期預金してくれるなら入れてたかなぁ。

 

いや、してへんなぁ。

 

ゴールデンウィークが終わりに向かっている。

黄金のメッキがはがれてきている絶望感に、

くらい話をするのは逆にありなんちゃうかと思ったのです。

 

 

ちなみに、もう1つぼくがその日にメモしていたことを書いておきます。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

キャッチフレーズが、

「まっすぐ!」

と書かれた市会議員のメガネのフレームが、

絶妙なほど楕円形だった。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

本当は、どうでもいいことで、人をしあわせにしたいんですが、

 

まだまだ着眼点が、あまいみたいです。

 

 

 

ゴールデンウィーク

 

 

時間は止まらない。

 

 

どうせ剥がれる金メッキ。

残りの3日間、

しっかり剥がしまくって

いっぱい楽しんでいきましょうね。

 

そうしなきゃ、損だ。損だね。

 

 

 

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先日撮った写真。

タイトルは

「かかと落とし」

です。

 

 よい、一日を。

 

 

 

これからも、ずっと甘いよ。

 

太鼓の達人をみていた。

家族でわいわい楽しんでいる、家族の達人を。

 

お父さんと、娘さんが2人で最初にゲームをしていて、

ノルマをクリアしたから二曲目はメンバーがかわった。

お母さんと、娘さんがトライする。

 

いまどきの流行のミュージックにあわせて、

ドンとカッが鳴り響く。

 

お父さんは、手持無沙汰。

うしろでボーっと家族を見ている。

 

ぼくも、特にすることがなくて、

ボーっとその家族を見ている。

 

こうやって書くと、

なんだか本当にヒマな不審者のようだが、

まぁそこまで間違っていない。

 

お父さんの手には、謎のハンマー。

これは、ワニワニパニックという、

もぐら叩きみたいなゲームのやつだけど。

 

どうして、男はハンマーとか、棒とかを握りたくなるんだろう。

 

お母さんと娘が、

星野源の恋をノルマ達成するまで、

お父さんはひたすらボーっとハンマーをぶらぶらと振っていた。

 

その姿を、たぶん、

ぼくだけがボーっと観ていた。

 

その後、

もうワンコインが投入されて、

お父さんとお母さんが、

カップルに戻りかんたんモードをフルコンボしていた。

 

娘はそれを、ボーっとみていた。

 

ぼくは、その頃にはもう家族をみるのをやめて、

となりにあったアンパンマンをみていた。

 

バイキンマンを叩くゲームなのでハンマーがある。

 

握ってみる。

うん、なんとなぁく手に馴染む。

さっきのお父さんの気持ちがよく分かる。

 

上からのぞいてみる。

バイキンマンはほとんど頭がはみ出ている。

 

 

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お、ひとりだけおサボり上手がいるぞ。

休憩時間に駄菓子なんかたべちゃっている。

 

スコアボードがある。

叩いたバイキンの数で、コメントが変わるんだね。

 

 

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まだまだあまいな!

 

だってさ、

 

これからも、ずっと甘いよ。

だって、アンパンだもん。

 

ひとりでおかしくなってしまった。


阪神が負けても、酒がのめるぞ。

 

酒がのめる 酒がのめる 酒がのめるぞ~

阪神が勝ったら 酒がのめるぞ~

 

という歌があったけど、

ぼくの父もそんなところがあった。

阪神が負けると本当に機嫌がわるい日があった。

 

年間140試合以上もある競技で、

1回負けたぐらいで不機嫌になられたら、

子どもからしたらたまらない。

 

逆に、勝った日にぼくたちに何かいいことが起こるかと言えば、そうでもない。

酒がのめる のめるぞ 酒がのめるぞ

なのであーる。

 

いま考えると、ふしぎだ。

大人が、好きな球団が試合に負けたぐらいでそんなに不機嫌になるものだろうか。

どうして、父はあんなに阪神の勝敗に左右されていたんだろう。

 

ぼくも、いまは父とおなじように毎日仕事へ行き、家へ帰る生活。

大学生の時とはちがい、平日はほとんど同じようなことの繰り返し。

 

毎朝眠たいのに会社にいって、ありえないノルマを課され、

お客さんには無理を言われ、上司には気をつかう。

ストレスはどこかに蓄積されて、睡眠したら、またおなじことのくりかえし。

 

こんなものと、親は毎日戦っていたのか 親ってすげぇ

と、社会人になっていちばんはじめに思いました。

 

 

火 水 木 金 土 日

 

これは、プロ野球の試合が行われる曜日。

 

月曜日をのぞく、ほとんど毎日です。たまに月曜もあるけど。

春から秋ぐらいまではつづきます。

 

週休2日制の会社に勤務していたとしたら、

勤務するほかの5日は、

かならず何かが起こります。

 

仕事で失敗したり、理不尽な目にあったり。

かと思えば、

うまく物事がすすんだり、ラッキーが舞いこんできたり。

 

その一日の最後のほとんどに、

野球の試合があったのです。

 

 

モヤモヤしながら仕事から帰ってきて、

テレビをつけたら阪神が負けている。

 

なんやねん…どいつもこいつも…

一日抱えていた気持ちを

家族には出さないように、出さないようにしていた父の緊張がきれる。

 

だけど、

仕事がうまくいかないから機嫌がわるい が、

阪神が負けたから機嫌がわるい に、

形をかえて出てきていた。

 

だから、

ぼくはなんでお父さんは阪神が負けたらあんなに機嫌がわるいんだろうって、

今日まで思い続けられていた。

 

阪神が試合に勝ったぐらいで、喜びすぎな日もあった。

それはそれで、何か良いことがほかにあったんだろうと思う。

 

 

それはそれで、良かった気がする。

父親が、父親らしくあるために、阪神の試合があったのだ。

 

べつに、机をひっくり返したり、

ベロベロに酔ってお母さんに手をあげたりすることもなく、

誰とも話さず眠りにつくだけだった。

 

そして、また次の日も、

なにくわぬ顔で仕事へ出ていく。

今日がどんな日になるか、分からないまま。

 

いま気づいてよかった。

心からそう思う。

 

 

 

なんで気づけたかというと、

ぼくは、ぼくで、

大好きな広島カープが負けた日は、

ちょっと悔しかったりするからだ。

 

たった140試合ぐらいのうちの、1試合なのに。

 

でもその1日は、

ぼくにとって、誰かにとって、

とてもしんどい1日だったり、

すごくしあわせな1日だったりする。

 

その感情を、うまく解消できない立場の人が、

世の中にはいっぱいいる。

 

 

大丈夫、野球が待っている。

今日を悔しがったり、喜んだりできる理由づくりに待っている。

 

 

実家に帰ったとき、

阪神タイガース 対 広島カープの試合を父が観ているときがあった。

 

その日は、カープが圧勝したんだけど、

父は平気なかおをして、

酒がのめるぞ~をしていた。

 

そうか。

 

あの頃から時間はたっぷり過ぎて、

今度は、ぼくが悔しがる番なんだなと思って、

 

すこしだけ、さびしかったなぁ。


バイキングは、夢である。

 

食べ放題が好きだ。

 

小さいころ、はじめてバイキングへ連れて行ってもらった日、

まさにそこは夢のような場所だった。

ここぞとばかりに、から揚げやお肉を皿に盛る。

好きなものを、好きなだけ。

気持ちばかりのサラダで、お母さんの様子を伺ったりした。

 

この大きなお皿に、何を乗せても怒られない。

すこしだけ、大人になった気分で、

 

おっこれはええな

ここにちょっとだけ色味をつけておくか

 

みたいな感じで、すこしだけアーティストちっくな雰囲気まで湧き出てくる。

 

 

 

なぜ、こんなことを思ったかって、

昨日ぼくは食べ放題へ行ったんです。

 

しゃぶしゃぶとお寿司が食べ放題というお店。

 

・・・もう一度。

 

しゃぶしゃぶとお寿司が食べ放題。

夢です、夢。

大人のぼくにも、まさに夢のようなお店。

 

お肉とお寿司は、店員さんにオーダーする。

牛を何枚、豚を何枚、お寿司は何と何とを2貫ずつといった感じで。

数分もしないうちに、テーブルの上には夢が広がる。

 

 

野菜はといえば、サラダバーのように、

たくさん盛られたコーナーから好きなものを収穫する。

 

白菜、しいたけ、えのき、ねぎ、豆腐、じゃがいもスライス、だいこん、中華めん。

そのほかにも鍋に入るお肉以外のものが並んでいます。

 

おっきなお皿を持って、たくさんの人たちが、

鍋にいれる具材をえらんでいくのですねぇ。

 

 

土曜日の夜は、たくさんの家族連れ。

ぼくも、ウキウキでおっきなお皿を持って列に加わります。

 

 

あ、ぼくバイキングで必ずすることがあって、

それが、頭のなかで実況をするってことなんです。

 

 

ちょっと大人の顔をした少年の、

バイキングっぷりを観察したり。

 

トングを持って子どものような目をしたおじさんの、

バイキングっぷりを観察したりするんです。

 

そして、その動きを頭のなかで実況する。

 

 

 

さぁ、ケンちゃん(仮)がいま、ポケモンのトレーナーに身をつつみ、

堂々と入場してまいりました。

左手には自分の顔よりも大きなお皿。

右手にはカチカチと鳴らす黒いトングです。

なにをとるのか、ファーストタッチはなにか。

 

う~ん、ここは最初は白菜に手をつけるのが一般的ですが、

まだまだ若いルーキーです。

その風貌にまどわされて、じゃがいもスライスに手を出すのではないでしょうか。

 

どうする。どうするんだ。

 

なんと、まさかの中華めんだぁ。

中華めんを何回も何回もつかんで盛っている~。

そして、横においてあるうどんも、乗せたぁ~。

 

出来上がったのは、中華めんとうどんの山。

 

しかし、ケンちゃん(仮)は動かない。

まだいく、まだいくのです。

絶妙なバランスで成り立っている山に、さらに麺をのせていく。

 

 

ぼく、あなどっていました。

彼のかりそめの姿にまどわされていました。

ケンちゃんは、うどんや中華めんをとった。

つまり、食べ放題の〆へとやってきている。

 

ぼくなんかより、ずっとずっとベテラン選手だったのです。

だからこそ、あんなに絶妙なバランスのパフォーマンスを披露できるのです。

 

 

何食わぬ顔、麺食う顔をして、

彼はどこかへ消えて行きました。

 

 

圧倒的なバイキングを目の当たりにして、

 

 

ぼくはと言えば、

白菜やしいたけを皿にのせ、

じゃがいもスライスをすこしだけ。

色味を気にして、にんじんを気持ちばかり。

 

 

だめだ、完全に負けている。

好きなものを堂々とやってきてかっさらっていく、

あの少年の姿が忘れられない。

 

 

にんじんをそれだけ乗せても、ほとんど意味がないのに、

色味なんかを気にして置きにいってしまっている。

どうせ席にもどったら、そのまま鍋の中に消えていくのに。

もっと、もっと、自分のためのバイキングをしなけりゃいけない。

そうだ、ここはぼくの夢だ。そしてみんなの夢だ。

誰かに見られているから、食べる物を選ぶなんて間違っている。

 

 

ぼくの夢は、ぼくが作るんだ。

 

 

待ってろ野菜たち。

次のタームで来るときには、

驚きのパフォーマンス見せてやる。

 

Mr.バイキングであるケンちゃん(仮)に負けてたまるか。

 

 

 

並々ならぬ決意を抱き、席へ戻ろうとすると、

 

 

 

自分の顔ぐらいの大きなお皿に、

お花のようにお野菜を綺麗に盛り付けている、

シゲオさん(仮)(50代)がにんじんを刺し色に使っていました。