得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

仕事が嫌いだ。なのに、この街が好きだ。

 

三度目の春を、むかえている。

 

会社に就職して、銀行員という肩書をもらって、

毎日起きていちばんに「眠いんじゃ」てつぶやいて、

いつものメンバーで満員電車を構成して3年目をむかえる。

 

家から、駅までの道に、桜の木がずらーっと並んでいる。

会社の花見を、それなりの嘘でパスして、

帰り道の夜桜を楽しむ生活も3年目なのです。

 

 

さいしょの春は、入行式やら研修やら、

社会に順応させられる1ヶ月をすごしていたので、

気づけばゴールデンウィークに突入していた。

とにかく休みが待ち遠しい。

スーツを着ないで、平日の古本屋に行きたい。

あと、銭湯で湯船に、指がシワシワになるまで、浸かりつづけたい。

そんなことを考え続けて、研修中は居眠りつづけた。

 

 

きょねんの春は、営業にはじめて出た春だった。

1年の内勤を終えて、4月1日に出た辞令で営業に配属。

割り当てられた地区は、海の風がとても心地よい街だった。

なにも分からず、肩を痛めるぐらい重たいカバンをもって自転車にまたがる。

ぼくに与えられた自転車は、充電が5分できれる電動のやつ。

伝票のもらいかたを間違えて、なんど橋を全力でのぼっただろうか。

はじめて走る街並みには、ぼくのことを誰も知らない、

たくさんの人の生活があふれていた。

 

 

 

そして、三度目の春をむかえた。

なんとか、むかえられた。仕事が嫌で嫌で仕方がない。

営業の立場としての自分と、

お客様と一人の人間として向き合いたい自分。

その間で悩みながら一年間を、充電5分切れの相棒と走った。

海辺の街は、冬はこごえるほど寒い。

手袋をしていたって、おかまいなし。

だから、冬眠するようにコンビニのイートインで過ごした毎日。

 

今日は4月6日。陽ざしがとても暖かい。

 

 

気づいた変化があった。

気温の変化じゃなくて、ぼくに起きた変化。

 

 

お客さんと道中で会う頻度が、めちゃくちゃ上がったのだ。

どこを走っていても、

「 ださく くん!」って声が聞こえてくる。

振り向いたら、お客さんがいて、立ち話をする。

 

あったかくなってきましたねぇって話したり、、

トランプ首相のこと、

飼っている犬のこと、

お孫さんの受験のこと、

10分ぐらいお話をする。

 

春になって、暖かくなって、

お客さんがたくさん外に出ていらっしゃる。

みんな散歩をしながら、海の風と春の陽ざしを楽しんでいはる。

 

 

去年の春には、味わうことのなかった感覚。

街が、ぼくを認識している。

たくさんの人が、ぼくと充電5分切れを認識している。

それが妙に、うれしい。

 

 

 

話をむりやり脱線させるが、

こち亀が大好きだ。

 

小学生のころに、おじさんに貸してもらった単行本。

遊びより、勉強より、ポケモンより、こち亀

本屋さんに行けば、こち亀の最新刊をおねだり。

 

ある日、呆れたじいちゃんがぼくに言った。

 

「こんな勤務中にプラモデル作ってる警察おるわけない」

 

そんなことは分かっている。

べつにプラモデルで遊んでいる両さんが、

うらやましくて読んでいるわけじゃない。

下町を愛し、地元の小学生にベーゴマの投げ方を教えて、

ふだんの仕事はトラブルだらけだけど、

みんなに愛される両さん

人情味のあふれる話が大好きだった。

 

 

 

そうか。

三度目の春、

ぼくは両さんになったんだ。

 

街に認めてもらい、

たくさんの人に声をかけてもらって、

お菓子やらなんやらを与えてもらって、

調子に乗ったらすぐに、

仕事でやらかして自転車で汗だく。

駐輪場にとまった自転車で、ぼくが来ていることがお客さんにも分かるらしい。

 

 

それはそれで、サボりづらいと思うだろうが、大丈夫。

去年の秋にみつけた秘密の浜辺がぼくにはある。

大股をひらいて、鼻唄をかまして、

昼寝だってできる場所がある。

プラモデルは作れないが、スマホでゲームは楽勝だ。

 

 

今日もたくさん声をかけられたし、挨拶をした。

 

「このあいだ言ってた炊飯器、はやく持って帰ってよ~」

 

「さすがにそれは無理です…」

 

両さんなら、喜んでもらって派出所で使うだろうなぁ。

 

 

 

 

「おぉ~ださくくん!昼飯まだやろ?たべていき~」

 

 

両さんじゃないけど、よろこんでお腹いっぱいになった今日のお昼だった。

 

仕事が嫌いだ。

なのに、ぼくは、この街が好きだ。





 

三度目の春は、まだまだつづく。

ため息と、3本の飲み物と。

 

散々な日と、そうじゃない日がある。

そうじゃない日のほうが多いはずなのに、

にんげんって不思議だけど、悲劇の主人公になりたがる。

 

「あぁ、かわいそうなシンデレラ」

 

どっかの本で読んだのか、はたまたアニメでみたのか、

けなげに雑巾で床を掃除するシンデレラに森の仲間たちが言ってたセリフ。

 

 

あいつは、あんなに頑張っているのに報われない…

そう言ってもらえることを待っているような自分がいる。

とばっちりを受けて、気がどんよりと重い、

嫌な問題に巻き込まれて、頭がなんだか痛い。

そんな時に、窓の外からぼくを見て、

「あぁ、かわいそう」

なんて言ってくれる森の仲間がいたらいいけど、

そんなにうまくはいかない。

 

 

その日は、散々につぐ散々で、散々々々ぐらいの日だった。

自分のミスもあるけど、あまりにもな日だった。

 

仕事だけじゃなくて、自転車は壊れる、足は怪我する、

相続関係のごたごたに巻き込まれる。

一日に、なんどもため息がもれた。それも、何種類もの理由で。

恋をしていて出てくるため息ならいい。何回出てもいい。

だけど、何種類もの嫌なことで出てくるため息。

 

「これは、さっきのため息とはちゃうんやで」

と、すこしだけ自分でアレンジを加える。

 

ふ…ふぅ~

ふぅ~~~

ふ~はぁ~

はぁ!

等など。

 

 

やっとの思いで、夕方をむかえる。

はやく家に帰りたいのだが、仕事がまだまだわんさかある。

はやくお風呂に入りたいのに、まだまだ靴下はむれる。

 

 

やってられんと、支店を飛び出す。

ほんとうは、そっと立ち上がり、支店を出る。

 

となりの個人宅の前に置かれた自動販売機。

100円でペットボトルが買えるので、よくお世話になる。

当たりつき自販機で、たまに先輩が2本目の缶コーヒーをぼくにくれる。

ほんとうは、紅茶花伝がいいなんて言えない。

当たりはとつぜんにやってきて、一定の時間をすぎると無効になるのだ。

だから、7777と数字がそろったら、すばやく2本目を選ぶ必要がある。

 

その自販機の前に立つ。

悩む。

どうしよう。

 

がぶ飲みミルクコーヒーにしようか、

ウーロン茶のつめたいやつをグイッといくか、

それとも紅茶花伝にするか。

愛のスコールという手もある。

 

なやんで出した答えは、ウーロン茶のつめたいやつ。

喉のかわきをとりあえず潤したかったのです。

ミルクコーヒーや、紅茶花伝や、スコールだと、

やっぱりどこか満たされないかわき。

喉をすっきりしたい。とにかく今日はつかれた。

 

自販機の取り出し口へ、手をのばす。

下を向いたときに、また、ため息が出てくる。

つぎは長いやつ、はぁ~~~~~~ってながいのを。

 

動きはすごくスローモーションでして、

どんよりとした雰囲気をかもしだしていて、

雑巾で床を掃除しているシンデレラのような感じで。

だれもぼくを見ていないのは分かっているのに。

 

ゆっくり顔をあげると、あれ、自販機が光っている。

ぜんぶの飲み物のボタンが、赤く光っている。

当たってるやないかと、もう一本もらえるやないかと。

こんな日にかぎって、当たるもんなのだなって感心しながら、

限られた時間の中で、がぶ飲みミルクコーヒーを選ぶ。

 

 

まさか、当たるなんて。

散々な日だったけど、どこかで誰かが見ているんだなって思った。

いろいろ大変な一日だったけど、

この2本のウーロン茶と、ミルクコーヒーで許してあげようと思った。

喉を潤して、甘~いのも飲んで、満足して帰ろうと切り替えた。

 

 

 

こんなことで、機嫌をとりなおせるなんて、

なんて簡単なやつなんだろうって。

自分でバカにしながら、もう一度顔を上げる。

 

 

自販機が…光っている。

ボタンがすべて光っている。

紅茶花伝も、愛のスコールも選べてしまう。

 

おいおい壊れてるんじゃないのかって思いながらも、

時間制限があるから、紅茶花伝を選ぶ。

取り出し口には目をやらず、スロットの数字に目をやる。

 

7776と表示された。

 

そして、しばらくして、

また、すべてのボタンは光った。

愛のスコールも。

 

 

しばらく頭を悩ませても、ボタンは光り続ける。

 

 

 

う~む。そうか。

 

 

はじめから、当たってなんかいなかった。

1000円をいれて、100円のウーロン茶を買って、

ため息をしている間にスロットは外れて、

ぼくは自分のお金でもう一本買っていたんだ。

それなのに、また当たったと喜んで、

さらにもう一本おかわりしてたんだ。

 

 

好きな飲み物3本と、

700円のおつりを持って支店へ帰る。

 

 

散々な一日だ。

散々な一日だけど、ひさしぶりに、自分に笑わせてもらった一日だ。

愛のスコールは、また明日飲むとして、

今日はこの3本を自分へのご褒美として帰ろう。

 

 

悲劇であり、喜劇であり、

そんな一日を自分で生きている。

時に、思いもよらない、自分のアドリブに笑わせてもらうことがある。

明日は、まだ、誰も知らない明日だから、

憂鬱なことがまっているかもしれないが、

ドラマチックなのには間違いない。たぶん。

 

 

おわり

あだ名って、ええもんやなぁ。

 

小学校と中学校は、おなじあだ名で呼ばれていて、

高校生になると、あだ名はなくなった。

大学生になると、また別のあだ名で呼ばれて、

会社に入ると、また、あだ名はなくなった。

会社では、呼び捨てをする上司はいない(現在のところ)。

 

 

高校の同級生だけが、ぼくのことを現状呼び捨てにする。

 

大学生の友達だけが、ぼくのことをその頃のあだ名で呼ぶ。

 

会社の人と、すこしだけ遠い友達が、

ぼくのことを〇〇くんと呼ぶ。

 

 

友だちと会って、

ひさしぶりに大学の話とかになると、誰かの名前が出てくる。

 

あだ名って、広辞苑をひいても出てこない言葉の並びだったりするから、

口が久しぶりにその言葉を発するから、頭がすごいまわる。

そういえば、こんなあだ名の人もいたなぁとか、

△△といえばこんな話があったよねぇとか。

 

ほつれたセーターの糸のように、するすると口がうごく、頭がまわる。

 

 

 

そういや、あだ名って言葉も久しぶりに使ってる気がする。

 

小学校の4年生ぐらいで、

たしか5時間目とかだったかなぁ。

給食食べて、昼休み遊んでからの授業。

学級会が開かれた日があった。

 

議題は、「あだ名」について。

 

先生がこの議題を挙げた理由は、

バカ松とか、アホ村とか、

そんな名前で呼ばれていた生徒が他のクラスにいたって話がきっかけだった。

 

 

どうして、あだ名で友達は呼び合うのか。

あだ名があれば、なにが良いのか。

どんなあだ名で呼ばれたら、みんな嬉しいのか。

 

ひとりひとりが手を挙げて、

思ったことを言っていた。

 

 

あだ名で呼ばれる幸せは、

さっきちょっとだけ書いたけど、

広辞苑ではひけない言葉が、自分を指しているということじゃないかと思う。

 

その人にとって、唯一の音の並びがぼくを示している。

好きだった女の子には、あだ名で呼ばれたら嬉しい。

下の名前で呼ばれるよりも、ぼくは嬉しかった。

 

 

授業のおわりに、先生が言った。

 

 

 今日の授業以降、それぞれが呼んでほしいあだ名を言いなさい。

 みんなは、これからそのあだ名で呼び合うこと。

 

 

ひとりひとりが立ち上がって、

ぼくの名前は〇〇〇〇です

呼んでほしいあだ名は、〇っちと、〇~〇~です。

と宣言をしていく。

 

 

なんともいえない昼下がりの時間だった。

 

クラスの人気者は、堂々といまのあだ名を言っていた。

あだ名のない子は、悩んで、下の名前を呼び捨てでと言った。

 

それぞれが、普段どんなことを考えていたのか、

なんとなく分かって、ぼくはすごく勉強になった。

 

 あぁ、こいつはこの呼ばれ方を好んでいたんだなぁ。

 あっ、嫌な呼び方をしてしまってたんやなぁ。

 

名前について、いちばん考えた授業だったと思う。

そのやり方が、正しいのかは別として。

 

 

ぼくの順番がまわってきた。

 

頭の中で、いろんなことを考える。

〇〇がいいな、でも△△とも呼ばれてるし、

う~ん、でもやっぱりたくさん呼ばれているやつにしようかな。

 

 

 〇〇って呼んでください。あと、〇ベエでもいいです。

 

 

 

勝負をかけた提案でした。

当時からぼくは、ズッコケ三人組にハマっていて、

主人公の1人である八谷良平のハチベエというあだ名にすごく憧れていたのです。

なんとなく「ベエ」というのが、

江戸時代の人のような風格があるし親近感もある。

ドラえもんの、「えもん」のところみたいな。

 

一度でいいから、そんなあだ名で呼ばれたい。

だったら今しかない。

 

そんなこんなで、突然現れた、〇ベエだったのです。

 

当然、教室はシーンとしたまま。

そのまま何も先生は言わず、授業は終わりました。

 

 

あれから、10年以上。

ぼくが〇ベエと呼ばれたことは一度もありません。

誰も、何も触れることなく、

もちろん広辞苑にのることもなく。

 

でも、当時から友達に呼ばれていたあだ名は、

いまも生きています。

 

道で、その言葉の並びを聞くと、もれなく振り返る。

それが女性の声なら、もうたまらないのだけど、

野太い男の声なんですよね。

 

 

でもまぁ、それはそれでいいんだけど。

普段は、名字でしか呼ばれないのに、

みんなに会うとあだ名に戻れる自分がいる。

 

それがすごく嬉しいのです。

 

 

あぁ~でもやっぱり~

 

女性にも呼ばれたいなぁ~

 

「社会人前夜だね」  ラジオのような、ひとりごと。

 

こんばんは。ただいま夜の7時30分。

日曜日の憂鬱さに、追い込まれながら今日も、

ラジオのように今思ったことを書いていきます。

 

就職して3年目。こうやって、毎週憂鬱な日曜日をすごしてきたなぁ。

いちばん憂鬱だった日曜日は、いつだったかなぁ。

 

きっと、「社会人前夜」だったろうなぁ。

 

 

ぼくが就職した2015年の4月1日は水曜日だったので、

3月31日の夜はもう絶望のような夜を過ごしていました。

 

 

ぼくは、行きたかった会社に就職できた人の気持ちは分からないけど、

それでも結構、憂鬱なんじゃないかなぁって思う。

やっぱり学生って楽しかったし。眠たい日々もはじまるし。

やっぱり新しいことは怖い。

 

 

 

どうしても、行きたい会社に入れなかった人もいると思う。

大人になりなさいと、両親に言われて、

就職先はたまたま内定が出た会社に行くことに。

憧れていた業界からはるかに遠い銀行という世界。

3月31日に辞表の書き方を検索したのを今でも覚えている。

 

 

どうでしょう。

みなさんは、いまどんな気分なんだろう。

ワクワクもあるし、ドキドキもある。

眠たさとの戦いがはじまるし、

理不尽がおそいかかってくる。

社会人前夜に、みなさんはどんな一日を過ごしたでしょう。

最後の一日の夜に、ぼくのブログを見てくれてありがとうございます。

 

 

ぼくは、いま、日曜日の憂鬱に耐えながらも、

すこしだけワクワクしています。

なんでだと思いますか?

 

目指す世界へ、全力で向かうことを決めたからです。

転職活動をしようと決めたからです。

 

なんで、こんなことを社会人前夜に発表するかっていうと、

なんだかんだで、社会人は何にでもなれると思ったから。

 

 

ちょっと話がそれるけど、

このあいだの仕事の話を。

 

現状が辛いし、はやく辞めたいとか沢山思うんだけど、

仕事は仕事でこれはこれで楽しい瞬間はある。

 

ぼくは、銀行で営業をしているから、

自分よりも60歳ぐらい人生の先輩に、

いろんなお話を教えてもらえる。

 

仕事のお話や、戦前のお話、

時には、恋のお話まで聞かせてくれる。

 

先日、88歳のおばあちゃんに、ぼくの夢を相談した。

定期預金をしてくれる人と、話をするのはよくあるが、

なんとまぁ2時間も話してしまった。

たくさんの人生経験をお聞きして、

ぼくの悩みや、夢を聞いてもらって。

 

「楽しいことを選びなさい。そのために一生懸命やりなさい。」

 

と笑顔で言ってもらいました。

おかしいですよね。お金を預ける銀行員が転職したいって相談する。

それに対して、誠心誠意の話をしてくれる。

 

 

最後にすいませんと、あやまったのですが、

 

「いいのいいの、2時間も話せて今日は本当に楽しかったわ、またおいでね」

 

サラッとご婦人は言いました。

 

 

お客様のことばがすごく心に響いたんですね。

それからの数日、ぼくはすごくワクワクした。

 

そうだ、たのしいことだけ考えて、

一生懸命やればええんや。

そしたら、いいことが起きるんだ。

理由はないけど、人生の大先輩がそう言ってるんなら、

やってみるしかないんやろう。

だって、あのお客さんすんごく人生楽しそうだもん。

大好きなジャズを聴いて、映画をみて、夜更かしをして、

こんなぼくにも色んな話をしてくれて。

 

 

社会人だから、〇〇できない。

社会人だから、〇〇しないといけない。

 

たしかに、一般的なルールは破ってはいけないけど、

 

社会人だから、夢を諦めてはいけない。

社会人だから、大人なフリをしないといけない。

社会人だから、好きなことを楽しめない。

 

そんなこと絶対ないんだろうな。

 

 

 

その日、帰り道の電車で、

ぼくは妙にうれしくて、窓際から必死に月を探して、

社会の脇役から、自分の人生の主役になれた気がした。

 

 

いま、こうやっている間にも、

社会人前夜のみなさんの時間は過ぎていく。

ぼくのブログを読んで時間を無駄にしてしまったらごめんなさい。

だけど、なんとなく、

すこしだけ気を楽にできたらと思って、いまキーボードを叩いています。

書いてます。贈っています。

 

 

広告の仕事がしたかった。

だけど、銀行に就職した。

だからこそ、たくさんの人の人生に触れた。

いろんなことを教わって、すんごく理不尽なことだらけやけど、

でも、心がしんどい日ばっかりだけど、晴れる日もある。

絶望なんてしない。

 

 

社会人だって、楽しめる。

好きなことができる。

何にだってなれる。

 

 

 

「やれるさ君なら」みたいな歌を聴きながら、

ダルい死にたいって思いながら通勤電車に乗ることもあるけど、

 

「辛い日もあるよね」みたいな歌を聴きながら、

でも今日は最高な日だったって思える帰り道がある。

 

 

 

2015年3月31日の自分の携帯のメモを見返した。

 

ダニエルパウター バッドディ

って書いてあった。

たぶんそのとき聴いていた曲を、なんとなく残したんだと思う。

 

youtu.be

 

ようは、

うまくいかない日もあるさ、

でも、ついてなかっただけど、

やっていこうよ、進んでいこう。

 

 

ってことをずっと言っている。

こんなにバッドバッドって言ってるのに元気がわいてくる。

勇気もわいてくる。

 

憂鬱をうすめてくれる。

むしろ楽しみが生まれてくる。

 

 

社会人前夜だね。

 

きっと楽しい日が、めぐってくる。

 

ぼくもこうやって書きながら自分に言い聞かせている。

 

自己満足じゃないよ、本当に思っている。

読んでくれた人が、ちょっとでも何かいい数分をすごしてくれたら本当にうれしい。

 

明日から、がんばるぞ。

ぼくの転職活動も、ちょっとだけ応援してくれたら、

それはすっごく嬉しいです。

 

ぼくも応援します。

なにか悩んだことがあれば言ってくれたら、

ここでぼくが何かを書きます。

 

 

明日がバッドデイかもしれないけれど、

いきなり洗礼をうけるかもしれないけれど、

そんな日もあるだろう。

 

ぼくみたいに、

素敵なご婦人と出会う日かもしれないし、

人生がかわる言葉に出会う日かもしれないよね。

 

 

ご拝読ありがとう。

 

あと数時間、たくさん色んなことを考えて、

今日思ったことは日記に書いておいたら、

それはすごく自分にとってかけがえのない記録になると思います。

 

 

やってみたらどうでしょう。

 

2017年4月2日 おわり

 

 

 

 

あぁ~

 

 

それでもやっぱり

 

明日が嫌だぁ~

 

日曜日おわるな~

 

 

 

おわり

やつの重みに気をつけましょうね。

 

 

金曜日のこと。

朝起きて、あぁようやく金曜だって思って、

そろそろ暖かくなってきて、

ハンカチじゃなくてハンドタオルをポケットに入れて、家を出た。

 

 

駅まで、ボーっとしながら歩く。

道沿いの桜は、なんとなく咲きそうな様子だけど、

「どうする?どうする?」って感じで、

最初に咲くつぼみを待っているような気がした。

 

 

とか、情緒的なことを考えている自分に、

どこか酔いしれていた。

 

気づけば駅について、電車がちょうど到着。

しかも、席があいている。

通勤電車で席があいていることなんて滅多にない。

ウキウキで座らせていただく。

さて、なにをしようかなぁ。

本を読むのもいいし、ダウンロードしたラジオ音源を聞くのもいい。

 

審議の結果、ラジオを選択して、両耳にイヤホンをつける。

スマホをとりだして・・・あれ・・・スマホ・・・。

ポケットから出てきたのは、財布と鍵と、あと

 

・・・・・・ハンドタオル。

 

 

あ、どうしよう。スマホを家に忘れてきた。

なんでだ。あんなに毎日朝の時間にアプリのログインボーナスを回収して、

いつものようにツイッターを開いて、

絶望のひとことをつぶやいているのに。

今日にかぎって、桜のつぼみに情緒的に思いをはせて、

スマホを持っていないことに気づかなかった。

 

 

どうしてこんなことが起きたんだろうなぁ。

もう一度、スーツのポケットにご挨拶まわりをする。

コートのポケットふたつ、

ジャケットのポケットはみっつ、

ズボンのポケットはよっつ。

 

計10個のポケットには、財布と鍵とハンドタオル。

と、なんかよく分からない補強のためのズボンの布きれひとつ。

 

せっかく席に座れたのに、ごそごそごそごそ。

横のおじさんは寝ているからよかった。

 

 

いろいろ考え、

この情報化社会にスマホを家に忘れるという大失態をした理由を決定しておいた。

 

いつも家を出るときは、

コートのポケットに財布。

ズボンのポケット、右に鍵、左にスマホ

ハンカチは内ポケット。

 

 

その日は、ハンカチは内ポケットに。

スマホがいつも収まる、左ポケットにはハンドタオル。

 

ポケットにしまったハンドタオルは、

ちょうどいい重さでスマホのふりして鎮座していた。

 

だから、きっとぼくは、

あぁスマホも持ってるな。

この重さはそうだし、ポケットの膨らんでいる数も一緒だし。

って思ったんだろうね。

 

 

 

・・・桜のつぼみに想いを馳せていたことは、絶対関係ないはず。

・・・自分に酔いしれてたからスマホを触ろうとしなかったからじゃないはず。

 

 

みなさんも、季節の変わり目はスマホを家に忘れないよう、お気を付け下さいね。

 

 

 

ラジオのように、ひとりごと。

 

ラジオが大好きで、何が好きって、

ダラダラと話をしている中で、なんか面白いことが起きたり、

じんわりするようなことが出てきたりするから好き。

 

ブログを書くときは、何か面白いと思ったことがあって、

そんでもってなにか形にしたいと思って、

オチを見つけて完成させるという運びになるんです。

 

だから、なにかオチが思いつかないときは、

まったく書くことがない。

面白いなぁって思うことは、たくさんあるんだけど、

文にできないぐらいザックリしたもので。

イセエビまるかじりぐらい大味なものなのです。

そんなことをしたことないですが。

 

今日は、本当は何のオチも思いついていない。

どんなことを書くかも決めずに、こうやって今キーボードを叩いています。

 

あぁ、何書こうかなぁ。

どうしましょう。

今日は、なにしてたかなぁ。

 

ラジオってこんな感じじゃありません?

なにがあったかなぁ、どんなニュースがあったやろうか、

そんなことを話しながら、フラフラとさまよいながら星に辿りつく感じ。

 

 

今日は、いや、今日も仕事だったなぁ。

いつも通り朝起きて、ひとりでウダウダ言いながらスーツに着替えて、

ネクタイを装着して、ぎりぎりまで粘って家を出る。

そして、駅に向かう途中まで、新聞をひらいて電車で読むために折り目をつける。

 

あ、そうだ。

今日は新聞をひらくことができたんだ。

春がちょっと顔を出したから、

ぼくはポケットから手を出して、

信号待ちで新聞の折り目をつくった。

昨日までは、新聞がビラビラとなびいて、もう途中であきらめてしまってたんだ。

 

新聞がなびかなくなったら、ちょっとだけ春

なのかもしれないなぁ。

 

 

で、仕事をすませて、家に帰る。

新聞をひらいて、仕事をして、家に帰ったわけです。

ちなみにお昼は、ココスでハンバーグを食べました。

 

ドリンクバーがついてたんで、

カルピスソーダを注いで和風ハンバーグをほおばる。

机の向こうに家族連れがいて、

女の子がこっちをじーっとみてきたので、

ものすごく美味しそうにカルピスソーダを飲み干してやりました。。

 

「うまそうやろぉ、おかあさんにおねだりするんやで」

 

と、大人の遊びをしたんだけど、

女の子はじーっと見つめてくるから、

またドリンクバーへ注ぎに行って見せびらかす。

 

「どうや、飲み放題やねんぞ」

 

 

しばらくしたら、

女の子の机にでっかいパフェが運ばれてきたんです。

そしたら、その子はこっちを見ながら、

美味しそうなアイスをほおばったわけですね。

 

めちゃくちゃうらやましかったなぁ。

パフェ食べたかったなぁ。

 

 

たまにやってしまうんですよねぇ。

ソフトクリームを買って、小さい子どもの前で、

これでもかと美味しそうに食べる遊び。

おねだりを誘発する悪い大人です。

 

ぼくが子どもの時に、周りが食べているものがすごく美味しそうに見えたのは、

きっと同じような悪い遊びをしてる大人がいたからだと思うなぁ。

 

一度、妹が母親にかき氷をねだって買ってもらえなくて泣いていたら、

あとで突然かき氷を買ってくれた大人がいたけど、

あれはきっと、申し訳なさからの行動なんじゃないかな。

 

かき氷を美味しそうに食べてごめんねって気持ちで、

買ってくれたんやないかなと。

 

ちがうかな。いやそういうことにしておこう。

 

 

今日気づいたことは、

なんだろうかなぁ。

 

新聞がなびかなくなったら、ちょっとだけ春。

 

ってことと、

 

パフェは、子どもがいちばん美味しそうに食べる気がする。

 

ってことかなぁ。

 

3月28日 おわり

 

雉はどうすれば、撃たれないのよ。【ことわ・ざ】

 

犬、猿、と来たらどうでしょうか。



どうでしょうか。



……雉ですよね。

犬・猿・雉というより、犬・猿・キジなんだよなぁ、

って思うんですけどどうでしょう。



雉って字を書くことって人生においてほとんどないですもんね。

じゃあ、猿って字はいつ書く機会があるんかいねって言われても、

そうだなぁ…ないなぁ…ってなります。



 

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よくありますよね、「雉も鳴かずば撃たれまい」。

ぼくみたいな、お調子者はよくやってしまうんです。

言わなくてもいいことを、話がうまく運んでいるときにこぼしてしまう。

いい流れで肩を揺らしていたのに、たった一言で空気は固まる。


まぁ、調子良く物事が進んでいる時点で、鳴いているのかもしれないのですが、

だいたい僕たちの生活で使われる「雉も鳴かずば」はこれですよね。

 

 

あとは、何だろう。

 

SNSとかで、突然、社会を批判するようなことを言ったりすると、

思いもよらないところで炎上。

「あ~あ、雉も鳴かずば撃たれまい」やのになぁ。

ってのもありますね。

 

 

前者と後者の違いって、

「鳴きたい」かどうかなんだろうなぁ。

ぼくなんかは、無意識にやらかしてしまうのです。

上司と同じ年齢のタレントを、「おじさん」って言ってしまうんです。

生物の授業で「反射」を習ったけど、一瞬で言葉がかえってくるんですよ。

 

 

「同い年やねんけどもね」

そうなったら、もうあれです。

下手なフォローをしても意味が無いので、黙るのです。

 

 

昨日、ヨドバシカメラに立ち寄りました。

友だちを待っている時間に、スマホケース売り場をうろちょろしてました。

1000円ぐらいのものから、10000円もするものまで。

BMWスマホケースや、フェラーリスマホケースもある。

 

高級品になると、ガラスのケースに入って鍵をかけられている。

名前をつけるなら、スマホケースのケース。

 

で、比較的安価な商品は、そのまま、ぶらさがっている。

コンビニの飴ちゃん売り場みたいな感じですよね。

どんな触り心地なのか、自分の手に対して大きくないだろうか。

たくさんの人が、サンプルを触ってお買い物をしている。

 

そこに、『極』という商品があった。

大きなポップが出ていて、

どこか極かというと、「薄さ」と「丈夫さ」なのである。

他の商品よりも、そのネーミングと宣伝の大きさで、

売り場は目立っており、ぼくも引き付けられて思わす触る。

 

 

「どんなけ、薄いんだろうか。

 どんなけ、丈夫なんだろうか。

 極なんて名前を付けるなんて、相当なもんだぞ」

 

こう思うわけです。

 

 

で、期待しながらサンプルに手を伸ばしたわけすが。

なんとまぁ、すべてがバキバキに割れているのです。

様々なバリエーションの極が、もれなくバキバキです。

これは最悪。丈夫だったとしても最悪。

割った人が、握力がゴリラと同じぐらいなのかもしれないけれど。

 

「薄くて、丈夫です!」

 

ぐらいだったら、きっとこんなことになってなかっただろうな。

 

「薄くて、丈夫を極めました!」

 

と、言ってしまったから、こんな悲劇が起きたんじゃなかろうか。

よ~し、それだけ言うなら試してやるよって気持ちを起こしてしまったと思われる。

 

でも難しい。ある程度、攻めないと人は見向きもしてくれない。

買ってもらうためには、ネーミングで勝負しないといけなかったのだろうな。

 

 

あ~あ。

 

 

「雉も鳴かずば撃たれまい」に。

 

 

ぼくの頭に、ことわざがよぎった。

そうか、こんな時に使うんだきっと。

 

熊が鳴いたらみんなが逃げるけど、

雉が鳴いたら弾丸が飛んでくる。

 

動物園で鳴いたら観衆が喜ぶけど、

森で鳴いたら銃口を向けられる。

 

鳴くことはすごく難しい。

 

どこで鳴くか、

どうやって鳴くか、

難しいなぁほんとってヨドバシカメラで思ったわけです。

 

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喋りのプロの人でも、失言することもあるんだろうな。

鳴かないでいいことを、鳴いてしまうんだろうなぁ。

 

 

まさに、「猿も木から落ちる」だな。

 

 

あっ、猿って字も、使うね。


25年目のサプライズ【ショートショート】

 

宇宙人ご一行は、ずっとその男を見てきた。

男が、少年だったころからずっとである。

今までに、たくさんの人間を見てきたが、これほど長く見てきたことはないようだ。

どれぐらい長いというと、男が32歳になるので、

だいたい25年程は見てきた。

 

 

男は、宇宙人を見ていなかった。

というより、見ることができなかった。

ただ、彼らがこの世に存在するということだけは信じていた。

周りの人間が、男の発言をどれだけ馬鹿にしたって、信じることをやめなかった。

たくさんの本を読み、平日の夜に時たま流れる、

一般的に『うさんくさい』と呼ばれる番組を録画し擦り切れるまで見た。

そして、時おり空を見上げては、

空にうかぶ謎の物体を探すことに人生を注いだ。

 

 

彼らは、男のことが興味深かった。

とにかく、自分たちの存在を否定する人間が多いなか、

男だけが、ロマンを感じてくれている。

それも、25年間ずっとである。

 

小学生は、自由研究をU.F.O.の図鑑を作成。

中学生は、天体望遠鏡をのぞき、星を観察。

高校生は、青春を放ったらかし、宇宙の研究に。

大学生は、もう一度、宇宙人の存在を肯定するための調査に全力を投じた。

卒業後は、NASAでの仕事を熱望していたが、願い叶わず、地元の役所で土地の調査を担当した。

やりたいこととは全く違う仕事をしていたが、それでもなお、

家に帰ると、宇宙のこと、そして宇宙人のことについての勉強を続けた。

そして、宇宙人と出会うことを夢見て25年目。

職場で出会った女性と結婚し、子どもを授かった。

 

 

「あの子も、とうとう結婚して、子どもが生まれたぞ」

 

「こんなにめでたいことは、ほかにないよ」

 

「ほんとうだ。しかし25年もあっという間だなぁ」

 

宇宙人たちの間で、いつも自分たちの存在を信じつづけてくれた男に、

何かプレゼントを贈ろうと会議が行われた。

文明の存在を示すような道具を贈ろうという案も出たが、

そういったことは、彼らの星では犯罪に値する行為であった。

 

悩みに悩んだ結果、ひとつの贈り物がきまった。

それは、『ロマン』である。

存在するのかもしれない。出会えるのかもしれない。

そんな希望が、男をつねに前へ前へと進ませてきた。

我々が存在するかもしれないというロマンこそが、

彼のエネルギーとなっていると宇宙人たちは定義した。

 

サプライズの方法も決まった。

彼が撮った写真に、こっそりと写り込むという手法だ。

シャッターを押した時には気づかれず、

男の趣味であるフィルムカメラの現像が仕上がった瞬間、

そこには宇宙人の存在をかすかに示す『ロマン』が現れる。

突然に現れた未確認飛行物体 U.F.O. に男は喜び、

より強いエネルギーになるに違いない。

 

 

そしてとうとう、宇宙人が起こす小さなサプライズは実行された。

男がシャッターをおろした瞬間に、

写真の真ん中を、未確認飛行物体が横切る。

男は気づかない。それぐらい早いスピードで前をよこぎった。

 

 

数日後、フィルムカメラの現像が完成した。

宇宙人たちは、男を今まで一番楽しそうに観察した。

男がどんな反応を示すのだろうか。

発狂して飛び跳ねるんじゃないだろうか。

写真を宝物にしてくれるんじゃないだろうか。

もしかしたら涙を浮かべるかもしれない、だって25年も信じてきたんだから。

 

 

男は、写真を眺めた。

にこにこしながら写真を順番に眺めていった。

フィルムカメラのいちばん楽しみな時間だ。

出来上がりを順番に眺めていく。

 

そして、手が止まった。

 

男の顔がゆがむ。

 

 

「なんだこれ。ワケの分からん影が入っちゃってるよ・・・最悪だ」

 

 

男の手に握られていた写真は、

娘がはじめて自分で立ち上がった瞬間の写真であった。

一度しかない、たった一度しかこない、

はじめてのあんよの写真だ。

そして、その真ん中には、

まぎれもなく宇宙人たちの仕掛けた、

「よく分からない物体」が前を横切っていたのである。

 

 

 

その日、

25年間追い続けた『ロマン』でさえも、

子を想う親の愛にはかなわないことを、

宇宙人たちは人類から学んだのであった。

そして、サプライズは慎重に行うべきことも、

しっかりと自分たちの星へ持って帰ったのである。

にんげんらしさを、使いこなす。

 

お仕事をさぼるとき。

中で仕事をしているときは、トイレに入る。

いつも通り、便座にてしばらくボーっとする。

 

たぶん、一日に相当な量、ぼくはトイレに行く。

ブルーレット置くだけを、いちばん仕事をさせているのは、きっとぼくだ。

 

頭がこんがらがったら、トイレに行って手を洗うし、

ちょっとイラッとしたら、洗面台で顔を洗う。

 

とにかく嫌なことがあったら、

トイレでぜんぶ水に流してあげる。(あっ・・・ちょっとうまい)

 

仕事にもどったら、堂々としている。

 

 

「どうも、お腹の調子がゆるゆるで・・・」

 

 

うんちってすごいですよ。

うんちの話になると、

みんなすこしだけ対応がゆるくなる。(あっ・・・これも)

 

 

にんげんをすこしだけ、

ゆるくする言葉ってあると思う。

ぼくは、それはすこしお下品だけど、

うんちだと思っている。

 

絶対にみんながするもので、

生理的な現象だから仕方ないもの。

汚いようで、

みんながすこしだけ笑えるちょうどいいとこに、

うんちってあると思うんです。

 

うんこ、じゃだめですよ。

うんちと、うんこの違いは、

かわいらしさがあるかどうか。

 

「どうも、下痢が続いていて」

「どうも、お腹の調子がゆるゆるで」

は全然違って。

 

きっと前者は、うんこ。後者は、うんち。

 

トイレをうまく使う術は、

いかに「うんち」でやりくりするか。

 

あ、もう一個、ぼくは人をゆるくする言葉を知っている。

そうそう。たぶん、今日みんなが一度はしているだろうもので。

 

うんちじゃないですよ。

ぷぅってやつです。おならです。

 

「あぁ、こんなに偉そうに言っている人も、家でおならしてるんやろな」

 

そう思えたら、変にかしこまらずに、

相手の言っていることをすんなりと受け入れることができる気がします。

 


びっしりと書き込まれた新聞記事を読んでいてもそう。

すごく難しいことや、偉そうなことを誰かに言われてもそう。

すごく自己嫌悪に陥らなくてもいい。

 


所詮、おならをする人間の言ってることよ。

ぷぅーってしてるのよ。

 

そんな風に思ってしまったら、

つまらない感情は、吹き飛ばしてしまえる気がします。(おならだけに・・・)

 

おならと、うんち。

2つの、人や気持ちをゆるくする言葉を使ってやってくださいね。

 

 

お下品なんじゃなくて、にんげんらしいと思ってください。

 

 

政治家だって、

アイドルだって、

気難しい上司だって、

 

みんなみんな、

おならもするし、

うんちもするさ。



にんげんらしさを、

使いこなすとは、

こういうことじゃないかと思っています。


はなげ も、

もしかしたら、そうなのかもしれない。


鼻毛じゃなくて。はなげ。


死んでも、いい名前でありたいな。

 

 色々わけがあって、じいちゃんが住んでいた家に住んでいる。

 なんだかんだで、ひとりで暮らすことがしあわせ。

 好きなものを食べて、好きなものを飲んで、

 好きな本を読んで、嫌々な出社。

 帰ってきたら、好きな映画を観て、あんまりな野菜ジュースを飲む。

 気づいたら朝がきていて、また、嫌々な出社。

 

 出社さえなければ、もはや楽園ともいえるこの環境を、

 のびのびと生きています。

 おかげで、体重は増えるし、部屋は本だらけ。

 積み上げられた雑誌のタワーが崩壊をはじめます。

 そして、放ったらかしにされたガス代の未払い通知に気付かず、

 至福の時間をもとめて裸になってひねったシャワーからは、

 冬のつめたさでキンキンに冷えたお水が降ってくることになります。

 

 お風呂のぬくもりと、髪のうるおいを求めて、

 コンビニへ走る瞬間はもう慣れたもので。

 今シーズンは2度目のランニングに思考はいたって冷静です。

 お金を払って、サポートセンターに電話をして。

 契約者の名前を言って、供給を再開。

 しばらくしたら、鼻歌まじりに湯船につかっています。

 

 

 で、変えないといけないのだけれど、

 ぼくの住んでいる場所の公共料金の契約者は、

 祖父の名前になっている。

 ひとりで暮らしていると、人の名前を口に出すことはそうない。

 

 「ガッキー可愛いなぁ」とか、

 「糸井さんやっぱり、あぁ~好きだ~」とか、

 そういった類は別としていただきますが。

 コールセンターの人に契約者の名前を聞かれたときに、

 何か月ぶりだろうか祖父の名前を言った。

 

 「そうだ、じいちゃんって、こんな名前だったなぁ」

 20秒10円もかかる、供給再開の電話をかけながら、ボーっと考えていた。

 

 1月に祖父母が眠っているとこに、手をあわせに行った。

 カラスに蹴飛ばされたコップに水をそそいで、

 生命力がはんぱじゃない草をひっこぬいて。

 ヘビースモーカーの祖父に、すこしだけ線香の煙をあびせて、

 すこしのあいだ二人に手をあわせた。

 

 「いったい、いつになったらぼくは報われるんだよ」

 「いいこと全く起きないんだけど、なんでなのよ」

 

 あてつけのように、もやもやしている悩みを訴える。

 

 「いつも、ありがとうございます」

 「これからも、お守りくださいよろしくおねがいします」

  

 敬意を持って、素直なきもちで感謝をのべる。

 

 じいちゃんばあちゃんに愚痴を言う孫と、

 ご先祖に敬意をしめす一人の子孫と。

 2種類の接し方を、ぼくはしていた。

 

 ガスが停まるまで、名前を口にすることは無いし、

 今後、ひとり言でも絶対言わないと思うけど、

 ぼくは祖父母の戒名をしっかり覚えて帰った。

 なんとなくだけど、戒名ってすごくいい風習だと思ったからだ。

 

 手を合わせると、

 そこには確かに、じいちゃんばぁちゃんがいるんだけど、

 もっと尊い存在がいるような気がして。

 いろいろ思い出して馬鹿にしてるような、

 そのくせに感謝してるような。

 2つの感情を、2つの名前が受け止めてくれてるような気がしたんです。

 

 

 関係ないけど、大好きな夢路いとし・喜味こいし師匠の漫才で、

 鶏は死んだら戒名が「かしわ」

 猪は死んだら戒名が「ぼたん」というやりとりがあった。

 牛は死んだら戒名が「牛肉」なわけで、

 「BEEF」になったらそれは宗教が違うから戒名みたいなのがあるのだろうか。

 どうなのでしょうね。

 

 

youtu.be

 

 

 

 戒名をメモして、家に帰って意味を調べてみる。

 なんと、すごくいい名前を祖父母はつけてもらっていた。

 お葬式のとき、いつもお経をあげてくれるお坊さんがつけてくれたそうだ。

 センスがいいと思ったんだけど、ここには書くのはやめておく。

 戒名であれ、プライバシーというものが多分ある。きっと。

 特定されたらたまらないものね。

 

 ぼくも、いい戒名がついたらええなぁとしみじみ思いました。

 

 

 先日、珍しく部屋を掃除したときに、

 引き出しの奥底から1つのCDが出てきた。

 ジャケット写真には、どこかで見たことのある顔。

 あんまり楽しい時に出会う顔じゃなくて、

 なんとなく悲しい時や、眠たい時に会っていた人の顔。

 

 そうだ、これはあのお坊さんだ。

 

 きっとええ声にちがいないのだけど、

 とりあえずそのままぼくは引き出しにCDをもどした。

 ラベルの付いたまんまの新品のCD。

 

 もうちょっと眠れない夜が続いたら聴いてみようと思う。

 たぶん、重量感のある声なのだろうな。

 星野源とかそういったタイプの声とはまた違う、

 漬物石のような重みのある声なんだろうな。

 

 

 また、忘れたころに出てきたら、

 今度は開けて聴いてみよう。

 

 うちのじいちゃんばあちゃんに、

 あんなに良い戒名をくれる人は、

 いったいどんな詩をきかせてくれるのか、

 ちょっとワクワクしているのですが、

 なおした引き出しを忘れてしまって、

 結局いつもの音楽をたれながしている、

 ひとりの夜になりました。

 

 あぁ、あと数時間で嫌々な出社だ。