得も損もない言葉たち。

日常をひとます、休まず。

あなたのクスッとをください。

詐欺師のせいで、フリスクがよく減る。 銀行員に潜入 13マス目

 

 

 風邪をひいてしまった。

 急な気温の変化に対応しきれなかったのか、

 はたまた、お腹を出して寝てしまっていたのか。

 熱はぜんぜん無いので、どうやらインフルエンザではないようで。

 中途半端に、元気だ。

 自転車にも普通に乗れるし、階段で5階のお客様のもとへも駆け上がれる。

 

 

 しんどくなろうと思えばできるけど、そういうわけにもいかない。

 なにせ、すべて自分にかえってくるわけで。

 そう考えると、

 いつも通り仕事して、いつも通りコンビニで休むのが一番なのです。

 ただひとつ願うことがあるとすれば、緊急な事態が訪れて、

 自転車で猛ダッシュしないといけなくなることだけは

 ご勘弁ということ。

 

 ま、そういうときに限って、ぼく宛の電話は鳴り響くわけでして。

 

 

 どうやらまた詐欺師が、うろうろしているらしい。

 入行してから何度目だろうか、お客様からの問い合わせ。

 今回は、ぼくに確認のお電話を下さったので事前に防ぐことができました。

 

 

 いろんな姿の見えない詐欺師がいる。

 還付金がどうとか、警察の犯罪防止がどうとか、

 息子が会社のお金に手をつけてしまったとかそんな電話がかかってきたり。

 直接、家まで来て、通帳を預かっていく詐欺師もいれば、

 「お金がかえってきます」と言って、暗証番号を聞き出す詐欺師もいる。

 いろんな手口で、お金を奪おうとする犯罪者がいることを、

 身に染みて感じる日々です。

 

 

 特に、タチが悪いのは、やっぱりオレオレ詐欺

 何度か、だまされてしまって窓口にやってきた「親の顔」を見てきた。

 その悲しみや、焦りに満ちた顔は忘れられない。

 息子が会社のお金に手をつけた悲しみ、

 それでも、いち早く助けてあげたいという焦り。

 会社からの電話で、お子様が事故に遭ったとだまされた人もいまして。

 もはや、それは嘘だとしても傷害事件じゃないのだろうかと思ったり。

 

 詐欺を未然に防げたとしても、

 お父さんお母さんにやってくる大きなショック。

 親切心や、愛や、友情や、

 そういった大切なもので人を傷つける行為は許せぬと強く思います。

 

 

 

 たくさんのご高齢のお客様がいるので、

 ぼくは心配になって電話してまわった。

 「気をつけてくださいね」とか、

 「変な電話なかったですか」とか。

 以前に詐欺にあいかけたお客様には、すぐに電話をした。

 

 

 「こんにちは、〇〇銀行の△△です~」

 いつもの挨拶をして、本題に入ろうとしたが、

 お客様の様子がおかしい。

 話をしていても、どこかうわの空。

 聞き流されているような返事。

 一通り要件を伝えたところで、

 「ところで、あなた本当に銀行さん?いつもの人と声が違うけど」

 と、まさかの質問が。

 

 

 ・・・・。

 そうだ、ぼくは今日、鼻が完全に詰まっている。

 自分で話していても、誰だか分からないマヌケな声になっている。

 疑心暗鬼になるのも当然なくらいに別人だ。

 必死になって、お客様に分かってもらおうと話をした。

 ペットの犬の話とか、このあいだ話をした息子さんの話とか。

 話せば話すほど、だましているような感覚にちょっとだけ陥った。

 

 

 

 あの人の良いおしゃべりなお客さんが、

 すごく疑心暗鬼になっているなぁと思うと、すごく腹立たしかった。

 人を欺くという行為は、なんて卑劣な行為なのか実感した。

 信用したいけど、できないという辛さを植え付ける行為なのだなと思った。

 

 

 

 結局、電話でなが~い世間話をしたのち、

 疑いは晴れ、お客様に「いつもありがとうねぇ~」と言ってもらって電話をきる。

 

 

 

 鼻の詰まりはそのまんま。

 喉のイガイガもそのまんま。

 お薬の効果はまだ出ないみたいだ。

 それでも、つぎのお客様に電話しないと。

 机の引き出しから、フリスクのいちばんスースーするやつを取り出す。

 電話をする前に口臭を気にしてるわけじゃない。

 口の中がスースーすると、鼻の詰まりも一瞬だけスースーするのです。

 その一瞬を逃さず電話をする。

 フリスクはある意味、いつものぼくに戻るアイテムであったのです。

 

 一件に一粒食べるので、

 どんどん減っていくフリスク

 あぁ、明日は食べなくてもスースーしてたらええのになぁと思い、

 今日は、はやく眠るとします。

 

 

 

タイムトラベルを、起こすのだ。銀行員に潜入。12マス目

 

 

 突然ですが、柴咲コウさんが好きです。

 どれくらい好きかって、

 出演していたハーゲンダッツのCMを、ずーっと眺める夜があるくらい好きです。

 NHKの大河ドラマ『おんな城主 直虎』だって、第一回を待ち望んでいたくらいだ。

 ちなみに、三谷幸喜さんも大好きなので、真田丸が終わるのも

 それはそれで寂しかったりするので複雑です。

 

 

 で、その『おんな城主 直虎』なのだけど、なかなか成長しない。

 今日こそは、今日こそは、って思ってテレビを見るけど、一向に成長しない。

 と言うのも、幼少時代で4話つづくため、

 なかなか柴咲コウさんをお目にかかれないのである。

 すべてを見ているわけではないので、出演済みかもしれないのだけど。

 

 

 幼少時代がこんなに長いドラマはめずらしいのじゃないだろうか。

 だいたいのドラマでは、再現シーンでちょっとだけ幼少時代が描かれるか、

 もしくは、長くもって1話ぐらいだろう。

 次の話からは、「20年後」というナレーションが入り、主演の登場である。

 きっと、演技をする子役さんたちが素晴らしいのだろう。

 画がもつ。充分、見ていられる。

 だからこそ、柴咲コウさんは温存され、堂々の登場をはたすのです。

 

 

 

 ぼくの、深い柴咲コウさんへの愛と、浅い大河ドラマの演出への考察はさておき。

 今日も明日も、銀行員に潜入しているわけで、その話を。

 

 

 

 

 寒すぎる毎日。

 海沿いの営業エリアを自転車でまわるのは、何らかの罰かと思うぐらい厳しい。

 きっと、ぼくの前世が犯した罪を、自転車にのって償っているのだろう。

 だからこそ、これ見よがしに「さむいわぁ~!」って海に向かって叫ぶ。

 これ見よがしと言いながら、周りに誰もいないか確認はするけど。

 

 

 アポイントをとっているお客様は、

 暖房がきいてたり、ストーブが置いている部屋へ招き入れてくれる。

 電気カーペットというのは、あれは銀行員のためにあると思う。

 お客様はソファ、ぼくは床という位置関係が多いので。

 あれは銀行員のためにあるのです。

 

 

 問題は、アポイントをとらずに営業に行った先のお客様だ。

 突然現れた、スーツの男に対する目線は、吹き付ける風のように冷たい。

 ドアを開けてくれたら良いほうです。

 それも、この寒さであっという間にドアは閉まる。

 「暖を…、暖をとらせてください」と、目で訴えかけるが、

 そんなのうまくはいかないことは、マッチ売りの少女で学習している。

 

 

 どうしようか。

 寒すぎるけど、コンビニに1日に3回も逃げ込めない。

 次の家、次の家へとピンポンを押して銀行員はまわる。

 まわりにまわって、ようやく。

 

 

 「とつぜんなに?まぁちょっと寒いから入りなさい」

 

 ホームアローンで、ケビンが駆け込んだ教会のように、

 ホームアローン2で、ケビンが駆け込んだカーネギー・ホールの天井裏のように、

 聖母のようなお客様に玄関へ招き入れてもらえたわけです。 

 ま、それだけで満足してしまうのが、ぼくのダメなところで、

 雑談をすこしして、結果も出ずに帰ることになるのですが。

 

 

 それから数日、

 もう一度あらためてアポイントをとって、そのお客様の家へ。

 定期預金だったり、運用商品の話をしようとするも、

 「あなたのせいで、楽しみな韓国ドラマがわけが分からなくなったわ」

 と会ってすぐ、笑いながらお客様に言われる。

 

 

 どういうことか一瞬わからなかったけど、頭の中で整理して答えを出しす。

 きっと、ぼくと話をしている間に、

 大切なシーンが進んでしまったんだ。

  二人が恋に落ちるシーンや、恋人が事故にあうシーン、

 はたまた犯人が判明するシーンが過ぎ去ってしまったんだろうと。

 

 どういうことか聞いてみた。

 

 

 

 

 「部屋にもどってテレビを観てたら、

  知らないオヤジと、オバサンが泣きながら抱き合ってたのよ。

  どうやら話をしている間に、40年も時が過ぎてて、

  あんなに可愛かった子どもが、一瞬でオヤジになってたわ」

 

 

 

 

 「あぁ…。どうやらぼくは、タイムスリップを起こしてしまったわけですねぇ。」

 

 

 …

 

 しばらくそのドラマの話で盛り上がって、

 ぼくはお客様から「タイムトラベルを起こす銀行員」として、

 すこしだけ気に入ってもらえたみたいです。

 

 

 

 みなさんは、『おんな城主 直虎』を観ているときに、

 銀行員が来たらくれぐれも注意するようにしてください。

 帰ってきたら、とつぜん数十年の時は流れているかもしれません。

 

 

 そう、彼らはタイムトラベルを起こす職業なのです。

 

 

 

 

 どんどん寒くなるなぁ。

 また、明日、寒いって叫ぼう。

 

 

 つづく。

北極星は明るくて、遠い。

 

 やりたいことを見つける瞬間は、みんな違うと思う。

 小学校の時にオリンピックに出たいと言っていた少年が、

 中学校では、小説家になりたいと言って、

 高校ではテレビ制作をやってみたいと言い出して、

 大学生では広告を作りたいと強く思って、

 卒業したら銀行で働いている。

 

 これは、一例(ぼくの話)だけど、

 みんなはどんな「なりたい人生」を送っているのだろうか。

 

 

 いろんな数年間を経て、現在どこにいるのか。

 コンパスがどこかに消えてしまって、

 気づいたら、ぜんぜん違う山を登ってしまっていた。

 そんな人が世の中にはたくさんいるのだろう。

 

 

 途中で、山が違うことに気付いた時に、どうすればいいのか必死に考えた。

 1つは、今の山を一生懸命のぼる。今の場所で輝けるように頑張る。

 諦めることではなく目標の転換。

 

 

 もう1つは、一度降りて、登っていた時についた筋肉、知識を利用して、

 あたらしい山を登り始める。

 ロープウェーなんて無い。向こう側には簡単には渡れない。

 自力で登り始めるしかないのだろうなぁ。

 すごく不安だ。全然違う山だろうから。

 どんな生き物がいて、どんな気候なのかも分からない。

 もしかしたら、山には毒ヘビがいるのかもしれない。

 怖い。

 あらためてコンパスが必要だ。

 

 

 糸井重里さんの、

 「抱きしめられたい」を呼んだ。

 

抱きしめられたい。 - ほぼ日刊イトイ新聞

 

 目指すべき場所どこなのか、分かったようで分からない。

 だけど、この本の中には、自分が毒ヘビと出会った時に、

 どう考えてどう向き合っていくのか、そしてどうやって食べるのか。

 そんなことがたくさん書いてあった。

 そして、今いる山の中でも使えるような話だった。

 

 あぁそうか。

 

 この人は、北極星なんだ。

 ぼくが持っていて、方向を確認するコンパスではなく、

 空を見上げたら光っている星のような存在。

 夜になったら、登るべき場所を照らしてくれる存在。

 どこかのおとぎ話のように、顔があって口があって、

 夜になると歌声が世界中の山に響き渡る星。

 

 

 今いる山を登る人にも、

 今遠くで見えている山を登りたい人にも、

 読んではどうかと思える三四七ページ。

 いつか、ロケットも作れるようになって、

 会いに行ってみたいと強く思いました。

 

 

 もしかしたら、自分も誰かの北極星になれるのかも、

 って思うのは、おこがましいことかもしれないけど。

 たとえば、親になるとか、先輩になるとか、

 こうやって何かを書いて発信するということは、

 ぜんぶぜんぶそうなのかもれない。

 だからこそ、今日も一生懸命歌います。

 

 

 

 聴いてください。

 

 

 「月曜日が憂鬱だぁあ」

 

 

スマホ対応の手袋を買って、気づいちゃったことを。

 

 腹がへって何気なく誘おうかなって思う人や、

 「ごはんでもどう?」と誘ってくれる人を想像してください。

 その人は大切にしたほうがいい人と思います。

 特に深い意味はないし、以後、あまり関係ない話をしますが。

 

 

 

 お正月に手袋を買った。

 百貨店に行ったときに、ちょっといいやつが並んでたので。

 と言っても、3000円ぐらいのSALE品ですが。

 

 買った手袋は、すぐれもので、スマートフォンが操作できる。

 手袋を外さずとも、画面をタッチできるので、

 冬の寒い季節でも、屋外でスマホを触ることができるのです。

 外回りで、突然かかってくる電話にも、素手をさらさずに対応できるのです。

 

 さぁ、手袋をつけてスマホ操作ができるとなると、

 冬の季節に素手で外を歩くことは無いような気がしてきます。

 ちょっとの外出でも、切り裂くような冷たい風が襲いかかってきますので。

 もはや、手袋をはずす理由がない。

 

 だけど、今日の通勤時、ぼくは手袋を外した。

 それも、風がびゅんびゅん吹き荒れている海沿いの道で。

 スマホの操作がスムーズにできる手袋をはずした。

 

 缶コーヒーを買ったのです。

 外が寒すぎて、体を温めるため、あったか~いやつを。

 手袋をはずすと、もちろん、手は痛いぐらい寒い。

 それでも、缶コーヒーの放つ温もりを素手で感じたかった。

 その時に、ふっと思った。


 あぁぼくは温かい飲み物を体に注ぎたいというよりも、

 手をこうやって温めたいから缶コーヒーを買っている。

 手袋を外してまで、この温もりを求めていると。

 

 自分が感覚的に思っていることと、

 本当に思っていることの違いってあると思います。

 ぼくが手袋と缶コーヒーを通じて気づいた今日のように。

 

 いちばん身近なことで言うと、友達とのごはんはそうだなって思います。

 お腹がすいたなぁと思って、友達を誘う。

 ごはんを食べているようで、仕事の愚痴や、悩みを話す。

 お腹を満たすために食事に行ってるようで、

 本当の目的は心許せる友達との会話ではないでしょうか。

 

 

 無意識に手袋をはずして、温もりを求めたように。

 無意識に、何も考えずに誘ってしまう友達。

 表面的に考えていることのうらに、本当に求めているものがある。

 

 

 求めているとか、求められているとか、

 そんなこと考えると重いかもしれないけど。

 週末だぁ。週末です。

 

 遊びに出る人は、寒いので、手袋マフラーは必須ですよ。

 

 

  

予防接種を打つ理由が、ふえた話。

 インフルエンザが流行っている。

 もちろん、手洗いうがいは欠かせない。

 予防接種にも行こうと思っているが、なんだかんだで未だ行けず。

 世間話の中で、お客様とその話題になった際に注意を受ける。

 

 「あなたがインフルエンザになってしまうと、

  あなたを家に入れた人みんなに病気をうつすことになるのよ。

  それは、責任を持って予防に徹する必要があるってことですよ。」

 

 心に、スッとその注意が入ってきた。

 きれいに。

 本と本の隙間に、落としたお札が吸い込まれるように入ってくみたいに。

 ぼくはいま、予防接種をしなかったことに怒られているわけじゃない。

 仕事に対する姿勢に対して、いま一度考える機会をもらってるんだって。

 

 毎日、たくさんの人と接する営業。

 とくに、銀行の営業は、一日にたくさんの年配の方と接する。

 家にあがって、顔を向け合って会話をする。

 そんな日常を過ごしているぼくは、絶対に気をつけないといけないはずだった。

 それは、自分のためでもあるが、何より周りの人のため。

 

 

 インフルエンザになったら身体がしんどいから、予防接種をする。

 試験勉強ができなくなったらダメだから、予防接種をする。

 楽しみにしてた旅行に絶対行きたいから、予防接種をする。

 

 

 

 投資商品の相場を読むことは本当に難しい。

 責任感を持って取り組んでるけど、自身はない。うまくいかない。

 だけど、プロであるために、考えることはもっとたくさんある。

 それをぼくは、インフルエンザの予防接種に学びました。

 

「正解」を出すことについて。

 

 いつも、何が正解なのか分からなくなる。

 本を読んで学び、教育を受けて考えて、ひねり出した答えが、

 「結果がすべてやろ」という一言で終わることがたくさんある。

 

 たくさんの科目を毎日勉強して、

 テストをやって、点数をつけられる。

 赤点になったら、補習があって、正しい答えを教えられる。

 なぜ、あんなに必死に公式や人物名を教え込まれ、

 正解を出すことを求められたのか。

 なんでか、考えてた。

 

 

 正解を出すということは、「いいこと」を差し出すということだと思った。

 

 

 正しい知識を覚える生徒がすこしでも増えることが、

 先生にとって「いいこと」だったから、

 ぼくたちはたくさんのことを教えられたのじゃないだろうか。

 

 

 会社は、出された問題に対して、

 研修でのテストでは100点の答えを出しても褒めてはくれない。

 本を読んで、講師の言っていた方法論でまじめに仕事をしていても、

 結果が出ていないと指導をされて、補習が待っている。

 

 

 会社にとっての「いいこと」は、

 業績をあげて企業価値をあげることだから。

 

 上司にとっての「いいこと」は、今月の部署の成績を上げるだから。

 

 

 だからこそ、習ったことより、もっともっと頭を使わないといけない。

 今回がダメでも、次は「いいこと」を差し出さないといけない。

 社会に出て、正解を出すというのはそういうことなのだろうと思った。

 相手が「いいこと」と判断してようやく、

 自分の答えは正解になる。

 

 とても、生きづらい世の中だと思うかもしれないけど、

 そうじゃないとぼくは思う。

 

 相手にとって、何が「いいこと」か考えて答えを探す。

 それが、人生の楽しみであり、目的の1つなんじゃないかと思う。

 「いいこと」を差し出せば、時々、「いいこと」が舞い込んでくるから。

 

 打算的ともとれる生き方なのかなぁ。

 でも、「いいこと」をたくさん周りからもらうためには、

 自分も努力をする必要があるのじゃないかなぁ。

 

 

 こうやって考えていることすら、

 もしかしたら誰かにとって「わるいこと」なのかもしれないけれど。

 

 

 あぁ。

 体に「わるいこと」と思いながらポテチをつまんで、ボーっとしている。

 今日は、新聞を読んでないし、洗濯もしていない。

 でも、自分のことだから、ええかなぁ。

 

 

 

 

銀行員に潜入。11マス目

  

 

 「海老一染之助・染太郎」の画像検索結果

 

 小学校の時から大好きな、海老一染之助・染太郎師匠です。

 今でも、お正月がくるたび新年を祝う2人の声が、

 頭の中をぐるぐるとめぐって、楽しい気持ちになります。

 冬休みの宿題で、年賀状の絵を書く宿題があって、

 このお二人を書いて提出するぐらい好きでした。

 

 

 というわけで、年が明けて一週間。

 気づくことがありました。

 新年のご挨拶というのは、ありがたい。

 営業にとって、普段から門前払いを受けるお客様にも、

 「あけましておめでとうございます」を言うために、

 インターホンを押す勇気が出るのです。

 お客様も、挨拶のために来た人間を追い払うことができないのである。

 初めから、うまくいかないと思って気楽に話をしていると、

 そこから話がはずんで、仲良くなれる人もいるわけで。

 

 (扉を)あけましておめでとうございます、

 の恩恵をしばらくは受けようかと思ってます。

 

 たくさんの人の家に行って感じたことは、

 「おめでとうございます」と言うのは気持ちがいい。

 年をとることを悲観的に感じる人はいても、

 年が明けることを嫌がる人はあんまりいない。

 1年という人生の時間に、

 日本中の人がおなじように終わりを感じて、はじまりを感じる。

 「あけましておめでとうございます」という言葉は、

 どの家の、どの人にとっても共通の話題だ。

 

 ぼくたち営業は、いつも共通の話題を探すのに必死で。

 すこしでも、お客様に近いところにいれるように、

 趣味をきいたり、家族の話をしたりする。

 知らない作家の話を聞いたら調べるし、

 お客様の地元の話が記事になっていたら切り抜きをつくる。

 そうやって、少しずつ、歩み寄ろうとしている。

 もちろん、そこには営業とお客様という関係が見え隠れするけど、

 お互いに忘れられるように努力をする。

 

 どうやら、

 「新年は祝いたくなる」という感情はぼくたちにチャンスをくれるみたいだ。

 ノルマは嫌だし放棄したいし、仕事は本当に行きたくないけど、

 これからの数日間、どんな新しい人に会って、どんな新しい知識がもらえるか、

 そこだけを目標にインターホンを押そうと思う。

 

 

 営業と、お客様という関係で、「おめでとう」という感情を共有できるので、

 『あなたと友達』や、『あなたと家族』といった関係性には、

 もっともっと何かが生まれるチャンスがあると思います。

 しばらく連絡をとっていなかった友達や、あんまり話していない家族へ。

 あとは、これは使えると思うのですが、

 気になっていたけど連絡をするのをためらっている異性へ。

 

 何かが動きだすきっかの合言葉は、

 「あけましておめでとう!」であると提案させてください。

 ただし、ちゃんと祝うこと。染之助・染太郎師匠のように元気よく、軽やかに。

  

 

 今年も、すこしだけ、銀行員をやって、

 あとは、営業エリアをふらふらと話題を求めて歩きたいのですが、

 また悩ましい日々が続きそうで、胃がキリリとしているわけで。

 

 

 みなさんも、ぼくも、新しい一年を祝って、

 夢へ一歩踏み出せる年にしましょう。

日常をすすむのは、しんどいけれども。

 

 新年が明けると、学校や会社もはじまる。

 ぼくは、たった4日間のお休みを噛みしめて、

 眠たい目をこすって今日から出勤しました。

 朝起きて、米ドルが何円かを気にしてしまった瞬間に、

 「あぁ、もうお正月は遥か彼方へ行ってしまった」と、ため息が、ふぅです。

 

 学生の頃のぼくだったら、

 「今日は休み!」って勝手に休日を制定して、家にこもっていたのですが。

 あいにく、ぼくの出勤を待っている机とパソコンと壊れた自転車が待っているため、

 そういうわけにもいきません。

 

 憂鬱な日々が続くわけだが、ぼくの場合はなんとなく生きている。

 でも、世の中には、本当に学校や会社に行きたくないと悩む人もいるわけで。

 その理由はたくさんあって。

 仕事がきついとか、眠たいとか、家で映画を観ていたいとか。

 あとは、イジメとか。

 

 心無い声をかけられたり、誰もが自分を無視したり、

 暴力だってあるし、金品の強要だってあったり。

 いろんなイジメが学校にはある。

 

 ぼくは、教育を受ける場所には恵まれた。

 学校に行くのが辛い時期もあったけど、周りは気のいい人たちばっかりで、

 今思うとしあわせだったと思う。

 年末年始に、友達や先輩と会ってひとくちだけ日本酒をもらったとき、

 陽気にしあわせを感じた。

 でも、一生会いたくない人も人生には、いる。

 

 水泳をクラブチームでやっていた時に一緒にやっていた、

 同学年の何人かには二度と会いたくない。

 理由はぜんぜん分かんないけど、

 言ってはならん二文字でバサバサと切られたり、

 無視されたり、肩を殴られたり、

 もろもろの嫌がらせをされた。

 いじめてきたグループの中で、仲間割れが起きたら、

 捨て犬のような鳴き声をあげながら近寄ってきた人もいた。

 向こうで仲直りしたら、またサヨナラするんだけど。

 

 憎くてしかたありませんでした。

 こういう話は、同窓会とかで再開して全てを許すというドラマがありそうですが、

 いまも夢で憎んでいるときだってあります。

 ぼくの人生に、二度と関わり合ってほしくない人です。

 たぶん、イジメにあった人は、みんなそうだと思っているのですが。

 すべてを許せた人は、ぼくよりずっと大人です。

 

 

 学校生活で、そんなことが続いていたらどうなっていただろう。

 考えただけで、気分が落ち込みます。

 もうすぐ、また学校がはじまる中で、

 きっと悩んでいる人もいるんじゃないかなぁって思って、

 今日も長々と書いてます。

 

 

 では、何が自分を救ってくれるんでしょうか。

 ぼくは、無宗教だし、よく分からないけど、

 「面白いものとか、好きなもの」なんじゃないかと思います。

 そして、「家族」なんじゃないかとも、思います。

 特に、今日は前者のほうをもうちょっと。

 

 

 「面白いものとか、好きなもの」

 本を読んだり、音楽を聞いたり、好きな芸能人のラジオをつけたり。

 自分の今いる場所からは、すごく遠いところからだけど、

 折れそうな心をすこしだけ繋いでくれるものがあると思います。

 

 心の支えは、他の誰にも壊せないと思います。

 どれだけ、周りが否定しても、

 今日も音楽は鳴り続けるし、ラジオからは笑い声が響く、

 しおりを開けば物語は動きだすし、

 あなたをすこしだけ繋いでくれる。

 

 

 今更な話をしますと、

 もはや紅白出場歌手にまで登りつめた星野源

 ぼく、大好きです。心の支えです。

 ちなみに、星野源も、子どもの頃にいじめにあっていたそうです。

 感情を失いそうになった時もあったとのこと。

 それが、今ではガッキーとキスしてハグをして、

 マイクをにぎれば、観客はメロメロです。

 

 彼を支えたのは、音楽や演劇でした。

 自分の好きなことを好きと言って、暗闇から飛び出した星野源は、

 絶望から這い上がったわけです。

 だからこそ、歌詞には弱い人の救いになるような言葉があって、

 ぼくも、他のたくさんの人の心も支えてくれるのです。

 

 

 ぼくは、別に、星野源になりたいわけじゃない。 

 ガッキーとハグやキスがしたいわけじゃない。

 (できることなら、したいけど)

 だけど、心の支えになれるような物になりたいと思っています。

 つまらない内容かもしれないけど、こうやって何かを書いています。

 明日が辛い人に、明日をすこし忘れる時間や、

 今がすごくしんどい人に、ちょっと楽しみな時間を、

 作りたいなぁと思っているのですが、難しいですね。

 

 

 話がそれましたが、今日何を言いたかったというと、

 もし、いま、とても暗い場所でひとりになっている人がいたら、

 自分の支えを、もっともっと作って、もっともっと好きになって、

 いつまでも大切にしたらいいんじゃないかと。

 辛い記憶は消えないです。たぶん、経験上。悔しいけれど。

 でも、面白いものも、好きになれるものも、

 たくさんある良い世界なので。

 探してみたら、人生の救世主はそこらじゅうにいると思います。

 

 

 最後に、ぼくのいちばん大好きな星野源の曲、

 「日常」の歌詞を置いておきます。

 

 

 

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 みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ

    みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ

 共感はいらない

    一つだけ大好きなものがあれば それだけで

 日々は動き 君が生まれる

    暗い道でも 進む進む

 誰かそこで必ず聴いているさ

 君の笑い声を

 

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 大好きなものを持ちましょう。

 誰が何を言ったって。

 

 

 

 ------

 

 

 夜を越えて 朝が生まれる

 暗い部屋にも 光る何か

 僕はそこでずっと歌っているさ

 でかい声を上げて

 へたな声を上げて

 

 

 ------

 

 

 ぼくも、どこか歌っています。

 だから、みなさん、日常を進みましょう。

 

 

 

youtu.be

選手宣誓の思い出。

 

 新年が明けて、たくさんの人が今年の目標を宣誓している。

 ぼくもしてみる。

 

 「誠実に物事に向かいあい、書くこと考えることを頑張ってみます」

 

 みます。よろしくおねがいします。

 

 宣誓という言葉を聞くと、思い出すのは、

 高校野球や運動会の開会式で行われる選手宣誓だ。

 ぼくみたいなクラスの端っこで、ボーっとうたた寝している帰宅部には、

 ほど遠い世界の話のようであるが、実は経験があるのである。

 もし、読んでいる人の中で、選手宣誓の大役を任された人がいたら、

 なんでも聞いてくれてかまわない。

 

 

 中学校まで、水泳をやっていた。それなりに、しんどい思いをしながら。

 週に6回は練習があったし。土日は朝練と夕練があった。

 コーチは怖かった。ビート板で頭を何度もたたかれた。

 夏休みには1週間の合宿があったし、新年は2日から練習があった。

 もう今日には泳ぎ初めが終わり、普通の毎日がはじまっていたのです。

 ただ、結果は残せなかった。

 成長期が遅かったという言い訳をしておこうかな。

 高校2年生で10㎝ぐらい伸びたけど、中学校は太っただけだったから。

 そんなぼくだから、県大会に行けるか行けないかで中学校の夏は終わる。

 近畿大会や、全国大会に行く先輩や、妹をスタンドでぼーっと見ていた。

 というか、うたた寝をしていた。

 1年生も、2年生も、うたた寝をしていた。

 泳ぐのはしんどいから嫌いだったし、練習も憂鬱だった。

 オリンピック選手を夢見たのは小学校の1年間だけだった。

 選手宣誓をやったのは、中学校3年生の時。

 市内の水泳大会だった。

 

 

 試合の前日。突然、顧問の先生から電話がかかってきた。

 

 「明日の試合の選手宣誓をやる人がいないから、お願いできるか」

 引退した優秀な先輩方が、部内で唯一の3年生であるぼくに残してくれたのは、

 昨年度優勝校の選手宣誓の機会であったのだ。

 最悪だった。

 たった一人しかいない3年生のぼくが、拒否したら、先生は手詰まり。

 2年生が宣誓するなら、他の中学校がするほうが大会が成立するといった話だった。

 それは、さすがに後輩がかわいそうだ。先輩にも失礼だ。

 電話を切ってから、死にそうな顔をしなが風呂に入ったのを覚えている。

 

 

 「わたしたちは、正々堂々、最後まで泳ぎ切ることを誓います」

 

 要は、言ってほしいのは、これだけだとのこと。

 前後には、なんか言わされる内容があったけど忘れた

 試合当日、開会式。

 それなりの人数の学校、父兄様が見守る中でぼくは選手宣誓をした。

 緊張した。人前で話すことは大嫌いだった。

 足は震えるし、汗はダラダラ。

 噛んだ。宣誓を噛んだ。

 そして、あたまが真っ白になって、何も言えなくなった。

 しばらく無言の時間がつづく。

 言葉が出てこない。どっかに消えてしまった。

 

 「一生懸命がんばります」

 最悪これだけ言えばよかったのに、それさえも出てこなかい。

 あれほど、プールに飛び込みたかった瞬間は選手生活でなかった。

 

 そこから先、ぼくが何を言ったかは全く覚えていない。

 覚えているのは、逃げるように自分の待機場所へもどっていった時に、

 周りの人達からクスクスと、馬鹿にされたような笑いをされたこと。

 後輩達にも、馬鹿にされたことぐらいだった。

 こんなことなら、いっそのこと、電話の時点で拒否すればよかった。

 プールに飛び込んで、大会をめちゃくちゃにしてやればよかった。

 やりたくもないのに、無理やり宣誓をさせられ、笑われ者になった。

 

 

 いまになっては、どうして、

 「ぼく以外の人が、全力でベストを尽くすことを誓います」

 と言ってやらなかったんだろうと思うばかりだ。

 苦い思い出。すごくすごく苦い思い出。

 

 

 宣誓は、本当に思っていることを語るべき。

 きっと、ぼくには「一生懸命」がそこになかったから、

 言うべき内容がどこかに消えて見つからなかったのだろうと思う。

 

 SNSには、いま、たくさんの宣誓があふれている。

 ぼくの宣誓も、そのひとつだ。

 

 冒頭に誓った言葉をもう一度。

 

 「誠実に物事に向かいあい、書くこと考えることを頑張ってみます」

 

 たくさんの宣誓が、すべて素晴らしい一年をつくりますように。

 ぼくも、がんばります。

 

 泳ぐのは苦手で嫌いだったけど、

 好きなことで宣誓した以上、

 逃げずにいこうと思います。

 

 来月には、今年の宣伝会議賞の結果も出ます。

 うまくいかないかもしれない。

 水泳でいうとこの、ベストは出ないし、決勝にものこれないかもしれない。

 それでも、しっかりと向き合うべきだと思ってます。

 

 

 

 去年よりもひどかったらどうしよう。

 あぁ、考えただけでも胃がむかむかする。

 

冷蔵庫のしんどいをどうしようか考える。

 

 しんどがりですが、

 いろいろしんどいことが増えた一年でした。

 嬉しがりですが、

 いろいろ嬉しいことも増えた一年でした。

 どっちもどっちだったので、

 今年も、いつもと変わらない一年でした。

 ただ、ここ数ヶ月はいろいろありすぎて、

 自転車乗りながら歌う鼻歌もバラードになって、

 頭の中で考えることも重くて。すこし、疲れた感じでした。

 

 

 一人暮らしの、あのお客様はどんな年末を過ごしているのだろう。

 いまは、そんなことが気になって仕方ありません。

 ホームヘルパーが来ない4日間をどう過ごすのだろう。

 

 抜け出すには、もっともっと、

 自分の「パワー」がいるなぁって思ったりしてて。

 自転車の充電が切れて、そっちに「パワー」を使ってしまって。

 

 どうしたらいいのだろうと電車でも考えて。

 家に帰ってスマホを充電して、こたつに入る。

 気づけば朝になる毎日でした。

 …いやぁ、しんどいって言ったら、笑われるかもしれないけど、

 しんどかったなぁ。

 しんどい、しんどい。

 ほんとは、嬉しいことより、しんどいことのほうが全然多かった。

 書いてて思った。思ってきた。

 

 しんどいが報われると、すこし嬉しいに変わるけど、今はとりあえず、

 冷蔵庫のなかに、賞味期限切れの牛乳や、いつのか分からないジャムとか、

 使い道の分からない飲み薬とかがいっぱいあるように、

 自分の中にたくさんのしんどいが溜まってる気がします。

 

 何か使い道を考える、年末年始にしようと思います。

 本年もありがとうございました。 

 

 今年は、友達のすすめからブログを始めたのですが、

 まだまだ難しくて、もっと面白いものを書けるようになりたいのですが、

 もっともっと勉強します。

 いつか、沢山の人に楽しんでもらえるようなことを書けたらと思いながら。

 朝から、ほろよいを飲みながら、大晦日でした。