得も損もない言葉たち。

日常を休まず進め。

あなたのクスッとをください。

コロンボと、古畑と、お母さんにはかなわない。

刑事コロンボ』が大好きだ。

 

ピーター・フォークの演じる「うちのカミさんがねぇ」が口癖のコロンボ。さえない風貌のおじさん刑事である彼が、完全犯罪を試みる犯人を、ひょうひょうと追い込んでいくドラマです。

 

 

コロンボが行く先々で起こる殺人事件に挑み、姿の見えない犯人をちょっとしたヒントをもとに特定していく姿がかっこよくてたまらないのです。

 

 

古畑任三郎』が大好きだ。

 

 

田村正和の演じる「えぇ~」とおでこに手をあてるポーズが有名なドラマです。すこし、いや、だいぶ変わり者の古畑任三郎が、これまた完全犯罪を試みる犯人を、ひょうひょうと追い込んでいくドラマで、普通の人間からしたら、何でもない現場の状況や容疑者の言葉を古畑は見逃さない。

 

 

ジェンガを崩すほど簡単に、犯人のアリバイを崩します。ちなみに、多少無理のある展開の話もありますが、古畑は視聴者に語りかけます。

 

 

「えぇ~。45分の間に事件を解決しないといけないので、すいません~」

 

 

どちらも、倒叙という手法をとっており、ドラマの冒頭で犯行のシーンが描かれるので視聴者は犯人を知っています。その犯人を、コロンボや古畑がどうやって追い詰めるかを見守る構成です。

 

 

古畑任三郎の脚本は三谷幸喜さんが書いています。

刑事コロンボに影響を受けているので、たくさんのオマージュがあります。それを探すのも、すごく楽しいです。

 

 

 

…と言うわけで、今日は「お母さんには、かなわない」って話を書こうと思います。

 

 

前置きがドラマ2つの説明になってしまってすいません。なにせ、ちょっと必要かなぁと思ったのと、あと、ぜひ観てもらいたい作品だからです。

 

 

お許しください。では、本題に。(前置きをしっかり話すのも古畑流です) 

 

 

 

ぼくは、高校時代にすこし不登校生徒でした。夏休みは、人より1週間長く休みました。始業式の日に、早退して家で「笑っていいとも!」をみてました。

 

 

明日は学校へ行こうと思いながら、月曜日のいいとも選手権をみていても、気づけば火曜日のいいとも選手権をみたり、漫画喫茶にいる生活。水曜日は学校でお昼休みをすごしても、木曜日は家で選手権。

 

 

友達もちゃんといて、昼休みに大富豪をするのも楽しかったし、先生も面白い人がいた。

 

 

強いて言うなら、部活も入ってないくせに勉強もついていけず、進学校だったから周りはよく勉強ができるし、なにかに一生懸命で何も取り柄が無い自分がすこし嫌だったような気がします。

 

両親は共働きだったので、日中は家にいませんでした。

 

 

だから、ひとりで過ごすお昼が大好きでした。ただ、先生は心配します。風邪で休むと言っても、生徒の自己申告だけじゃ信用してくれません。 うまくやり過ごせる日もあったけど、怪しい日には親の携帯に電話がかかるようになっていくのでした。

 

 

仕事から帰宅した親に、説教を食らう日々。理由を聞かれても、ない。なんとなく嫌なだけ。

 

 

毎日、母が帰ってきたらびくびくする夜でした。それでも、お昼にひとりでいたい。作ってもらった弁当を家でたべながら、テレビがみたい。今思うと、そんなに毎日が面白かったのかは疑問なのですが。

 

 

母がいつもぼくに聞くのは、学校になんで行かないかの理由だけだった。イジメなのか、勉強の悩みなのか、それ以外か。理由を教えてほしいと何度も言われた。ビンタもされた、それでも理由は分からないしか言えなかった。

 

 

 

ある日の夜、母にまた怒られました。

 

 

「あんた、今日も学校休んだやろ。正直に言いなさい」

 

 

突然、言われて思わずぼくは自白してしまいました。でも、うーんおかしい。今日は担任の先生もうまく誤魔化せたし、携帯には電話が入ってないはず。いわゆる完全犯罪を遂行したはずだぞ。

 

それでも、母は悟っていた。はてなマークが頭を埋め尽くし、悩んだ挙句、ぼくは母にどうして分かったのかを聞いた。

 

 

<「なんで、ぼくがサボったことがわかったんよ…」

 

 

母は半笑いで言いました。

 

 

「あんた、今日は家で弁当を食べたやろ。箸箱のお箸が一切よごれてないし、家の箸が使われてるやんか」

 

 

 

ただただ悔しかったのを覚えています。完全犯罪をちょっとしたほころびで見抜かれたのです。

 

コロンボや、古畑任三郎が、現場にのこされた小説にしおりが挟まっていたことから、自殺を疑うように。料理下手の容疑者の家に、ごちそうが作られていたことから、犯人と容疑者の関係性を見つけ出すように。

 

 

「お母さんには、かなわない」って、ぼくが心底思った瞬間でした。

 

 

 

ぼくは、それからしばらくして学校に通いはじめます。受験もして、志望校には行けなかったけど就職もしました。べつに、母に負けたから学校に通ったわけではありませんが。

 

 

ひとりでいた時間に、沢山の映画をみました。漫画やドラマも。インターネットで、CMやキャッチコピーをながめていました。かっこいい大人をたくさん見つけて、一方的に憧れました。いまのぼくを構成しているのは、そこで出会った沢山の「面白い」ものです。その世界にすこしでも近づきたいと強く思ったことが、ぼくが学校へ通った、理由かもしれません。

 

 

いまは、ぜんぜん遠いところにいるのですが…。まぁ、人生は、なかなかうまくいかないもので。いつも、夢でうなされています。だって夢の中では、楽しいことをしてるんです。

 

 

コロンボも、古畑も、犯人の手口を見抜きます。

 

 

自白させます。どうやって殺したかを、きれいに当ててしまいます。ただ、どんなに簡単に解決した事件でも、最後に犯人に聞くことがあります。

 

 

それは、犯行理由です。

 

 

どんな刑事も、名探偵も、犯行理由だけは見抜くのに手こずる。人の心の中だけは、やっぱり分かりえない世界なのかもしれません。自分の子どもの、心の中が分からなかった母はどんな気持ちだったのだろう。最近、ふっと考えたりしました。

 

 

そろそろ、しっかり自白しようかなって思っています。あやふやな犯行理由ですが。

 

 

 

 

 

 

うちのじいさんがうらやましい話。

 

 ぼくには祖父がふたりいまして。と言っても特殊な事情でもなんでもなくて。

 母の父である祖父と、父の父である祖父。

 となると、母の母である祖母と、父の母である祖母もいるわけです。

 今日は、そのうちの父の父である祖父の話です。

 

 80代になってから数年経っても、本当に元気なじいさん。

 おじいちゃんと呼ぶべきなのでしょうが、ぼくは父方の祖父を、

 じいさんと呼ぶのです。

 なぜ、じいちゃんと呼ばないのか考えてみました。

 たぶん、きっと、人生を本当に楽しんでいるから、キャラクターとして、

 「じいさん」というものになっているのだと思います。

 

 趣味はダンス。

 社交ダンスが大好き。

 ぼくが孫としてじいさんと関わって以来、

 いまもずっと土日はダンス。同じ年ぐらいの奥様方とダンスを踊ってます。

 バレンタインデーやクリスマスになると、いっぱいプレゼントを持って帰ってきて、

 「モテるんや。どうや!」って、ばあちゃんに自慢するのです。

 部屋にとじこもって、ダンスの自主練をしていたり、

 リビングで吉本新喜劇を観て、でっかい声で笑ったり。

 夜になったら、酒飲んでべろべろ。

 

 お風呂に行くときは、

 「ニューヨーク(入浴)へ行ってきます!」

 なんてことを言うわけです。

 あぁ、駄洒落に説明をつけないといけない恥ずかしさ、たまらない。

 ちなみに、うちのじいさんは無線も趣味でして、

 ばあちゃんのことを『エックスさん』と呼びます。

 無線用語でエックスは、女性を示す言葉だそうで、

 小さいころは混乱したのを覚えています。

 

 ほかにもいろんなことを楽しんでいるうちのじいさん。

 マジックも趣味のひとつ。

 60代でマジックをはじめて、いろんなホールでお披露目をしていて、

 母はアシスタントとして招集されたりしてました。

 鳩を持っとく手伝いをさせられたビデオは家族では鉄板です。

 なんとも言えない顔でステージにたつ母と、自信満々のじいさん。

 旦那の父の趣味に付き合わされる嫁。

 これが嫁ぐということみたいです。

 と、家族を巻き込んで、ちょっと迷惑でだいぶおもしろい趣味であるマジック。

 おもしろいって言っても、かなり馬鹿にした笑いかたをしていたのですが。

 先日、家に泊まりに行った時に一本とられたことがありました。

 

 仕事が終わって家へ行く。鍋があって、一緒にご飯を食べる。

 相変わらず陽気なじいさん。

 いつにもまして、陽気な気もする。

 

 

 「明日はなぁ、エックスさんのデイサービスでマジックを披露するんや」

 

 

 ばあちゃんの通っているデイサービスで、23日にクリスマスパーティがあるようで。

 趣味がマジックだと、ばあちゃんが言ったんでしょう。

 向こう側から、みなさんのために楽しいショーをお願いされたとのこと。

 なにをしようか、どんな衣装を着ようか、ワクワクしてるわけです。

 気になるのはやっぱりネタの内容。

 どんなやつをやるのか聞いたらですね、

 タンバリンをつかったマジックを披露するとのこと。

 昔からやっているやつで、鳩を出したりすることができるそうな。

 しかし、いまは鳩を家で飼っていない。どうするのか、何を出すのか尋ねてみた。

 

 

 「そんなもんなぁ。わしはタンバリンから何でも出せるんや」

 

 

 名言でした。

 ちょっとかっこいいと思ってしまいました。

 何でもは嘘だろうと思いながらも、出しそうな雰囲気を持っていました。

 そして何よりも、素敵やん!って凄く感じたのです。

 趣味でやっていたことで、たくさんの人のクリスマスを楽しいものにする。

 それを自分も本当にワクワクしながらやる。

 じいさん、かっこええやないか。

 

 次の日も、興味がわいたので泊まりに行きました。

 ばあちゃんに、タンバリンから何を出したか聞いたところ、

 「わすれた」と一言。

 認知症で、デイサービスに通う事になったうちのばあちゃんですが、

 この時だけはそれが原因じゃないと僕は思うのです。

 きっと、旦那のそういう姿をあんまり直視できない、

 照れみたいなものがあったのじゃないかと。そんな受け答えだったのです。

 

 

 大盛況だったと、嬉しそうに語りながら、

 じいさんはニューヨーク(入浴)へ旅立ちました。

 人を好きなことでしあわせにできる、しあわせ。

 ぼくも、そんなものが欲しくなっちゃいました。

 すこし、じいさんが羨ましかった話です。

 

 大好きなマギー司郎さんの言葉にこんなものがあります。

 

 

 早咲きの者もいれば、遅咲きの者もいる。

 もしかしたら、ずっと咲かないものだっているだろう。

 でも、それでもいいじゃない。

 皆が綺麗に咲くわけじゃない。

 中には咲かない花があっても、

 それもまた花なんだから。

 

 

 80代になっても、人間はあんなに楽しそうなら、

 ゆっくり生きるのも悪くないなと思うわけでした。

聖夜は照れ隠し

 

 赤い服が好きな男がいた。

 赤い服が好きな男は、白いひげを生やしていた。

 そして、一頭のトナカイを飼っていた。

 彼の職業は、サンタクロース。

 クリスマスの日の夜に、世界中をかけまわり子供たちの枕元にプレゼントを置く。

 年に一度の仕事であるが、大変な仕事だ。

 もちろん、彼はそれだけで飯を食っているわけではない。

 平日は、普通のサラリーマンをしている。

 とは言っても、白いひげをたくわえても怒られないような職業だ。

 個性的な服装や、髪型が許される職業。

 彼のとおいとおいご先祖様が、クリスマスという日をつくり、

 世界中の人々へプレゼントを配るという宣言をした。

 おかげで、とにかく目立たずお堅い仕事が気質にあっている彼は、

 白いひげをたくわえても怒られないという基準で

 就職活動をしなければいけなかったといつも嘆いているのである。

 まぁ、ご先祖が初代サンタクロースという話は、

 面接官の興味を独り占めしたわけで。

 かなりの就職難だった時代をくぐりぬけ、一流のIT企業へ入社したようだ。

 

 

 

 

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 クリスマスという日がどういう意味を持っているかご存じだろうか。

 『イエス・キリストの誕生を祝うための日』

 一般的にはこの説が浸透しているだろう。

 しかし、事実はちょっと違ったようだ。

 今日は、それをお教えします。ただし、本当かどうかは分かりませんけど。

 

 

 

 彼のご先祖である初代サンタクロース(以下:サンタ)は、

 1人の女性へ特別な感情を抱いていた。

 名前が伝わっていないことをみると、結婚をしなかったのだろう。

 ひと夏の恋というより、ひと雪の恋といったとこかな。

 彼はその女性になんとか振り向いてもらいたくて、

 いろんなことをしていたそうだ。

 演劇にさそったり、手紙をかいたり、とにかく色んなことをね。

 12月25日が誕生日である彼女には、もちろんプレゼントを用意した。

 でも、ただ贈るだけじゃ彼女の心をひきつけられない。

 つまり、サプライズをしたのである。

 安心してほしいのは、彼が寝ている彼女の家に忍び込んで、

 こっそり枕元にプレゼントを置くとか、

 そういう犯罪的な行為をしたわけじゃないってこと。

 

 

 「今日は特別な日だから、君にプレゼントを用意したよ」

 

 

 サンタは、食事に誘った彼女に対して、こう切り出してプレゼントを渡した。

 しかし、12月25日が何の日だったか、彼女は全く分からない様子であった。

 つまり、こういうことである。

 どこでどうやってこうなったか、12月25日だったと思っていた誕生日は、

 なにがなんとやらで、12月26日であったわけで。

 

 こぼれたミルクはコップに戻らないように、

 出したプレゼントは懐にしまえないわけで。

 まさか、愛する人の誕生日を間違えてたなんて言えず。

 追い詰められた彼は、こう言ったのです。

 

 

 「今日はさぁ、イエス・キリストの誕生日だろ。

  そんな記念日にたくさんの人に愛を届けるのは素敵だろ」

 

 間違えを隠したと同時に、照れ隠しでもあった。

 誕生日を間違えたことと、彼女への気持ちを、

 イエス・キリストの誕生日という格好の理由でごまかしたのである。

 しかし、話は思わぬ方向に、プレゼントは思わぬ方向へ。

 いろいろあるけれど、いちばんの理由はこうだ。

 

 

 彼女の仕事が、シスターであったこと。

 

 

 私なんかよりも、もっとたくさんの子どもたちにプレゼントを贈ってほしい、と

 まじめな彼女はサンタに懇願したのである。

 たった一人へ贈るつもりだったプレゼントが、

 1つの言い訳から大きな運動を生み出した。

 サンタは彼女を愛していた。

 そして、彼女はたくさんの子どもたちを愛していた。

 クリスマスという日は、かくして生まれ、

 サンタクロースという仕事は、こうやって始まったのである。

 

 

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 今年も、クリスマスがやってくる。

 たくさんの少年少女と、プレゼントをリストアップしながら、

 第150代サンタクロースの男が頭をかいている。

 色々大変なことはあるだろうが、彼はこの1年に1度の仕事が好きみたいだ。

 世界中の子どもたちからの手紙を読んで、口元がゆるんでいる。

 

 

 「本当はこんな仕事したくない」

 彼は、よくこんな愚痴を友達に吐いている。

 そのくせ、クリスマスの日の夜は1人でソリにのって、

 一生懸命に世界中を周るのである。

 

 たぶん。きっとこの愚痴は、ご先祖からお得意の照れ隠しなんじゃないだろうか。

 

 

 

I LIKE YOU. の日本語訳って。

 

 「 月がきれいですね」

 

 夏目漱石は、I Love You をこう訳した。

 有名な話ですね。ご存知な方には、ごめんなさい。

 でも、知らなかった方には、ちょっと洒落た情報です。

 

 ぼくが訳したと言えたら、超がつくほどにかっこいいのですが。

 

 

 

 では、 I Like You を訳してみます。

 ぼくは、こうかなって思うのです。

 

 「今宵のホームアローンも、最高でしたね」

 

 

 

 

 12月3日、午前1時30分~3時20分

 地上波で、ホームアローン2が放送されていました。

 クリスマスの季節を舞台に繰り広げられる、

 少年と泥棒のたたかいが描かれる映画。

 

 大好きなんです。

 

 戦争映画や、西部劇が好きなじいちゃんから、

 面白い映画があるって買ってもらって15年程たちますが、

 いまだにTUTAYAで探す毎年です。

 

 

 放送がおわって、10分。

 いま、心にあるしあわせを書き残したくて、いまです。

 いまいまです。

 

 

 コメディであり、ハートフルである。

 だれもが、少年の心をくすぐられると思うのは僕だけなのでしょうか。

 厳格なうちのじいちゃんでさえ、面白いと孫に薦める映画だったということは、

 ワクワクか、ほっこりか、どちらかが必ずひっかかるお話のような気がします。

 

 

 おもちゃや、家にある物で、ピンチを乗り越える。

 そんなアイデアで、泥棒とたたかうのかって思うような仕掛け。

 クリスマスで活気ずく街並みに、一人でいるようでそうじゃないあったかさ。

 

 

 そして、最後にすべてを持っていく、イジワルな兄貴のちょっといいとこ。

 

 

 

 

 観終わったあとの、ぼくの感想は、

 はらたつ~でした。

 いや、ほんと毎回面白いことに対して、はらたつ~なのです。

 

 何度見ても面白いし、見れば見るほど面白い。

 

 1つ1つのシーンが、ぜ~んぶ物語のクライマックスにつなっがってて、

 イケイケ!やったれ!とか、

 いっぽんとられたぁ、くぅ~って笑顔になる映画が出来上がる。

 

 

 

 この映画を、面白いという人がぼくは好きだ。

 もっと言うと、

 眠い目をこすってでも、

 夜中の1時半まで起きてホームアローン2を観て、

 

 「あぁ~面白かった~、ほんとう、いい映画やなぁ~」

 

 って、鑑賞に浸って寝れてない人が大好きだ。

 

 

 

 そういう意味で、ぼくが訳する  I Like Youは、

 

 「今宵のホームアローンも、最高でしたね」

 

 になるわけです。

 

 

 

 クリスマスが近いです。

 寒いので厚着をして、ホームアローンを借りに行きましょう。

 1~5までありますよ。けっこう満たされますねぇ。

 

 

 そんなぼくは、家でアローンでこうやって日記を書いています。

 

 

 さぁ、not aloneで、ホームアローンを。

 

 

 

 

毎日には、自分をなぐさめたいことが、ありすぎる。

 

 今日、ぼくは詐欺師を見る目を、向けられた。

 

 

 

 

 向けられました。言われてました。

 

 

 いつもお世話になっているお客様の家へ行く。

 出金がしたいとのことで、現金のお届け。

 お身体が不自由な方なので、ぼくが伝票を預かって出金を。

 

 デイサービスから帰ってくる時間は、15時半。

 すこし遅めに、15時40分に家へ行く。

 今日は、帰ってくるのがすこし遅かったみたいで、

 送り迎えのワゴンと鉢合わせ。

 

 お宅にあがらせてもらって、お渡ししていた時に来客。

 

 ヘルパーさんだ。

 

 

 「今日も、いるんですか?」

 

 

 かけられた言葉は、文章では伝わらないが、

 冷たい目線と同時にぼくに届きました。

 

 

 「現金のお届けだけなので!」

 

 

 ヘラヘラしながら、頭をかいた。

 

 

 手続きをしている数分の間に、電話が鳴る。

 

 お客さんの取った受話器から、声がもれて聞こえてくる。

 さっきのデイサービスの人だ。

 

 

 ・銀行員はまだいるのか。

 ・あの人たちが言う、うまい話には裏があるので、気をつけてください。

 ・あんまり、そういった人の話は聞かない方がいい。

 

 

 ぼくの心は、ずたぼろでした。

 もう、なんでしょう。

 仕事で、泣きたくなったのは初めてでした。

 

 

 

 職場で怒られるより、失敗するより、数字ができないより、

 もっと辛い気持ち。  

 

 

 

 どうして、泣きたくなったか。

 お客様のためを思ってしていることさえも、

 まるで詐欺師のような目で見られているということに悲しくなったのです。

 

 

 

 

 でも、デイサービスの人の気持ちも、ヘルパーさんの気持ちも、

 痛いほど分かります。

 自分の祖父や、知っている人が、銀行員が頻繁に来て、

 運用の話をしている姿は心配になるからです。

 

 

 ・・・

 

 

 

 誰かが人を想う気持ちで、

 自分が傷つくという経験でした。

 

 やりようのない悲しい気持ちを引きずって、

 充電の切れた電動自転車を押して帰りました。

 

 

 

 投資の商品を、そのお客様が買っているのは事実。

 でも、ぼくは今まで、たった数ヶ月ですが、

 お客様がすこしでも喜んでもらえることをやってきたつもりでした。

 

 

 ただ、周りから見たら、ちゃんちゃらおかしい言い分のなのでしょう。

 

 

 そうですよね。そこにはノルマという数字があっての行動だからです。

 

 

 先月の末から、そのお客様に相談されていることもあって、

 ぼくたちは資産のおまとめを協力しています。

 車に乗せて、自分ではいけない銀行に残ってしまったお金を、

 うちの口座に移す作業です。

 

 

 これも、数字があってのことです。

 移したお金で、投資商品を買ってもらうと、うちの支店の数字になります。

 

 

 

 でも、お客様にとっても手の届く場所にお金がある。

 喜んでもらえることだと思っています。

 というか、思うしかないのです。

 

 

 

 

 

 

 ぼくたちは、本音と建前で仕事をしています。

 営業という仕事は、いつもその悩みとの戦いです。

 

 

 

 大学生の時に、祖父を在宅介護をしていたぼくは、

 そのお客さんの生活のお手伝いもします。

 それは、職場の日記にはのこさない仕事。

 

 銀行員の仕事では決してない仕事です。

 ヘルパーさんよりも、お手伝いをしている気もします。

 

 

 

 でも、もしも、お客さんの口座の残高が0だった時に、

 ぼくは今までどおりにお手伝いをできるのだろうか。

 

 そう思うと、自分がすこし嫌になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0円の仕事がしたい。

 ぼくの大好きな箭内道彦さんが、本でそのようなことを書いていました。

 

 極端な話ではありますが、ぼくもそう思っています。

 

 報酬を貰わないと責任を放棄していることと同じだという意見もありますが。

 

 

 

 

 建前を捨てたい。

 

 

 

 大好きな広告で、本音で応援をしたい。つよく、つよく、力になりたい。

 そのために、全力で走りたい。

 

 ぼくが、広告の仕事への夢を諦めない理由が分かりました。

 箭内さんが語っていたことも分かりました。

 

 まだまだ、ここから走らないといけません。

 

 

 昼は、お客様のため。

 夜は、夢のため。

 そして、休日は友達や家族のため。

 

 

 建前じゃなく、本音で走ることを、考えました。

 

 

 

 

 ただ、

 ただ、

 

 

 たぶん、今日は、お酒を飲んだら泣いてしまうぐらい、つらい一日でした。

 

 

 

 今もまだ、つらく、明日もまた悲しいでしょう。

 

 

 夜に書いたら、この有様でした。

 

 

 おはようございます。

たべざかり

 

 衣替え、全国ではじまる。

 あまり、ファッションへの興味関心は深くない。

 季節が変わるたびに、どこかへ閉まった服を引っぱりだして、

 その数か月を過ごすワケです。

 

 で、季節も冬へ近づき、あったかい物がほしくなる気温。

 

 自販機で買うものは、

 ポカリスエットから、コーンポタージュに。

 

 晩ごはんは、

 つめたいうどんから、あったかいそばになる。

 もちろん、

 つめたいそばから、あったかいうどんにもなる。

 

 朝起きて、もれる言葉は、

 相変わらず「しんどいぃ」なのは変わらないけれど。

 

 空に打ち上がる花火をながめていた目は、

 街で光るイルミネーションに向けられる。

 

 

 

 そして、ぼくも今日タンスの引き出しを開けたわけです。

 

 「たしか、去年買ったニットがあったはずだ!」

 

 みつけて、ひっぱり出す。

 

 ?

 

 指が、とおる。

 指が、ニットの外側から中に入る。

 そんな穴が3つ4つ。

 

 

 

 むしくい

 

 それは、はじめての経験。

 いままで、自分の服が虫に食われたことなんて一回もなかった。

 それが、去年すこしばかり、高い服を買ってタンスに入れた途端、

 穴が3つ4つ。

 

 

 そりゃそうだ。

 

 考えてみりゃ当然だ。

 

 虫からすると、やっすい服しか入ってこない家に、

 突然現れたご馳走だ。

 

 

 食べ盛りの年頃、

 家に帰ってきて、リビングにピザが並んでいたら、ぼくは我慢できただろうか。

 

 虫もそうなんだろう。

 

 せめるつもりは全然ない。

 おいしくいただいてもらえたのなら、それも受け入れよう。

 

 

 

 

 母は、ぼくの目の届かないところに、

 もらってきたお菓子を隠した。

 

 これからは、良い服を買ったら、

 ハンガーにかけて見えるところにかけよう。

 

 で、タンスの虫の目が届かない場所に置いとこう。

 

 

 

 

 

 ・・・ゴン買おう。

10月11月は、やのごっとし。

 

 三週間ぶりに、ここへ生存を報告します。

 

 さて、何をしていたのかというと、

 当然のように自転車にまたがって毎日仕事をしていました。

 

 そして、宣伝会議賞にうちこむ毎日だったのですが、

 走り回って帰ってきたら、それだけでヘロヘロなのですね。

 

 座椅子に吸い込まれるように、気づけば朝という毎日をずっと過ごしていました。

 当然、コピーは思うように書けず。

 現状を変えたいという気持ちから、必死に机に向うも、

 自分の弱さに起きたときに凹むばかりの毎日でした。

 

 最終的に900個ぐらいの応募に終わった、今回の宣伝会議賞

 去年と、おんなじくらいでした。

 

 

 ぼくも、そろそろ有休とって、授賞式に行きたいです。

 

 キャッチコピーを書いたり、CM案を考える時間は、

 ぼくにとっては何よりも楽しい時間です。

 

 嘘です。もっと楽しいのは、友達と飲みに行ったり、遊んでいる時間です。

 

 休日は、ほとんどコンビニにしか行かなかった、この二か月。

 

 ただただ、笑ってる3月がほしいです。

 

 きっと、仕事の期末で自転車にまたがって、ヒィヒィ言ってるでしょうが。

 

 

 

二度寝

 

 朝、すこし待ってよ。

 夜、すこしだけ、青くなってる。

 起きてるあいだ、生きていて、

 寝ているあいだ、死んでいる。

 

 半死の顔で、探した眼鏡。

 寝ている指で、止めてる時計。

 もうすこし、もうすこし、我慢して。

 鳴るのを待ってよ、止まった時計。

 

 ほんのちょっとの、しずか。

 おろす、重いまぶた。

 

 もうしばらくは、寝ていよう。

 飽きたら生きるよ。現世の僕よ。

 

 

 起きると、そこは今日のはじまり。

 ちょっとの間の、仮死旅行。

 

 

テーマについて。

 

 好きな物を分解することに、はまっている。

 

 好きな歌手は、なぜあんなにも心に残る歌詞を書くのか。

 好きな作家は、なぜあんなにもワクワクする話を書けるのか。

 

 分解だ。なぜ、なぜ、なぜ。

 なぜのスパナを持って、どうしてのドライバーを握って、

 好きな物をどんどん分解している。

 

 

 嫉妬できる程、心を魅かれる人を分解すると、

 自分がどういうことに反応するのかが少しだけ分かる。

 気がする。

 

 

 タダで、CDを買わんぞ。

 タダで、本を買わんぞ。

 

 あなた達の、良いところから学ばせてもらうぞ。

 

 そうやって分解していくと、

 組み立て方も分かってくる。

 

 

 でも、それだけじゃ足りない。

 

 分解して、組み立てたって、そのままでしかない。

 制作者はその人で、再現者は僕だ。

 

 ぼくは、制作者になりたい。

 

 

 だからこそ、分解して、中身を知って、

 すこしだけ影響を受けて、

 新しい何かを探している。

 

 

 

 言葉に出して、声に出して、

 逃げ道をなくす。

 

 

 失敗しても、いつものように、

 頭をかきながらデヘヘって言う。

 

 

 人生のテーマだ。

 

 

 恥ずかしいことを、受け入れる。

 

 かっこ悪いことを、受け入れる。

 

 

 

 このテーマも、

 分解したときに、見つかった大切なパーツなのです。

 

 

銀行員に潜入。10マス目

 

 お久しぶりです。

 営業の上期の末のドタバタの何かにやられてしまい、

 先週末は泥のような毎日を送っていました。

 

 

 仕事から帰ってきたら、宣伝会議賞のコピーを考えて、

 書いたり、考えたりして、座椅子でそのまま寝てしまったり。

 その影響か何か知りませんが、朝に謎の頭痛がつづいたり。

 

 

 でも、こうやって机に向かっている時間は、

 なによりも、自分がやりたいことをやっているので、

 満足しているのです。

 

 

 もちろん、銀行員もつづいています。

 

 

 そんなこんなで、今月に入って、

 すこしだけ落ち着きながら自転車をこいでいる毎日です。

 

 

 

 お客様は、ほとんどが人生の先輩。

 というか、大先輩です。

 ぼくよりも70歳ほど年上の方でも、大変お元気。

 一度話し出すと、とまりません。

 

 でも、ぼくもぼくで、それが楽しいのです。

 

 なぜなら、そこで得られる話は、ぼくの24年の人生では、

 絶対に経験できない話だからです。

 

 

 たとえば、

 阪神淡路大震災のリアルな話。

 戦時中の生活の話。

 皇居に勤めていたご家族の話。

 人生でドンの底から這いあがった話。

 

 

 

 本を読むことも大好きですが、

 そうやって、たくさんの人のすべらない話を聞けるのは、

 この仕事のいいところ。

 

 

 

 ただ。

 

 ただですね。

 

 

 あまりに鉄板の話があると、

 お客様はもう来るたびに、その話をされるんですね。

 

 もはや、ぼくもその話の細部まで話せるようになるほど。

 それも、まぁ大長編なので1時間弱ぐらいはあるのです。

 

 

 

 落語のように、きれいに物語は進みます。

 さしづめ、ぼくの営業トークは枕のようなものです。

 

 

 ・ご資産の形成の話 (ぼく)

  ↓

 ・ご家族の話    (お客様)

 

 

 になるので、ごく自然に流れていきます。

 気づけば、ぼくがお客様になっているのです。

 話を聞きながら、出された団子を頬張る。

 今日も、今日とて、収穫は糖分のみでした。

 それは、それでいいのですけど。ほんと。ね。

 

 

 

 ただ、たまに、ぼくも時間に追われているときもあるのです。

 たまにじゃダメなのでしょうが。

 

 

 そんなときに、お客様に気付かれず、

 現在の時刻を確認する手段を、たくさん身に付けてきました

 

 たとえば、

 カバンを見るフリして、時計を見たりするような技術です。

 

 

 

 今回、実践した方法は、

 

 『テレビ番組の進行具合から、時刻を読み取る』 です。

 

 

 

 行程は2つ。

 ・お客様の自宅で、つけっぱなしになっているテレビを最初に見ておく

 ・入った時間だけは、確認しておく

 それだけしておけば大丈夫。

 

 

  

 

 具体的なお話をしますと、

 お客様の自宅に入った時刻が13時過ぎ。

 

 テレビがついている。

 

 よくやっているような、温泉殺人事件。

 シリーズ物なので、恐らく、1時間のドラマだろう。

 

 営業をはじめて、10分。

 温泉街で人が殺される。

 そこで、ぼくの営業トークも終わる。

 

 

 ここからは、お客様のお話。

 

 

 後ろのテレビでは、たまたま泊まりに来ていた刑事が、

 事件を解決するために奮闘している。

 

 『恐らくまだ、13時半ぐらいだ』

 

 

 

 そこから、過去のお仕事の話を聞いていると、

 興味津々になる話題が出てきたので、

 ぼくも時間を忘れて、長話をしてしまう。

 

 

 

 大丈夫、まだテレビのドラマは解決していない。

 

 

 

 

 たまに、お客様のうしろにあるテレビに目をやり、時間を確認。

 とうとう、犯人が嘆きながら、殺人の動機を語っている。

 きっと、そろそろ13時50分だな。

 

 

 

 「そろそろ失礼いたします」

 話を切り上げて、お客様の家をあとにする。

 

 

 

 腕に付けた時計を眺めた。

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 時計の針がさしていたのは、14時45分だった。

 

 

 

  ・・・

 

 

 

 

 2時間ドラマだった。

 

 

 




 

 

 銀行員は、つづく。